2008年11月7日金曜日

十二

 基督《キリスト》は最高度に芸術家の態度を具足したるものなりとは、オスカー・ワイルドの説と記憶している。基督は知らず。観海寺の和尚《おしょう》のごときは、まさしくこの資格を有していると思う。趣味があると云う意味ではない。時勢に通じていると云う訳でもない。彼は画《え》と云う名のほとんど下《くだ》すべからざる達磨《だるま》の幅《ふく》を掛けて、ようできたなどと得意である。彼は画工《えかき》に博士があるものと心得ている。彼は鳩の眼を夜でも利《き》くものと思っている。それにも関《かか》わらず、芸術家の資格があると云う。彼の心は底のない嚢《ふくろ》のように行き抜けである。何にも停滞《ていたい》しておらん。随処《ずいしょ》に動き去り、任意《にんい》に作《な》し去って、些《さ》の塵滓《じんし》の腹部に沈澱《ちんでん》する景色《けしき》がない。もし彼の脳裏《のうり》に一点の趣味を貼《ちょう》し得たならば、彼は之《ゆ》く所に同化して、行屎走尿《こうしそうにょう》の際にも、完全たる芸術家として存在し得るだろう。余のごときは、探偵に屁《へ》の数を勘定《かんじょう》される間は、とうてい画家にはなれない。画架《がか》に向う事は出来る。小手板《こていた》を握る事は出来る。しかし画工にはなれない。こうやって、名も知らぬ山里へ来て、暮れんとする春色《しゅんしょく》のなかに五尺の痩躯《そうく》を埋《うず》めつくして、始めて、真の芸術家たるべき態度に吾身を置き得るのである。一たびこの境界《きょうがい》に入れば美の天下はわが有に帰する。尺素《せきそ》を染めず、寸※[#「糸+賺のつくり」、第3水準1-90-17]《すんけん》を塗らざるも、われは第一流の大画工である。技《ぎ》において、ミケルアンゼロに及ばず、巧《たく》みなる事ラフハエルに譲る事ありとも、芸術家たるの人格において、古今の大家と歩武《ほぶ》を斉《ひとし》ゅうして、毫《ごう》も遜《ゆず》るところを見出し得ない。余はこの温泉場へ来てから、まだ一枚の画《え》もかかない。絵の具箱は酔興《すいきょう》に、担《かつ》いできたかの感さえある。人はあれでも画家かと嗤《わら》うかもしれぬ。いくら嗤われても、今の余は真の画家である。立派な画家である。こう云う境《きょう》を得たものが、名画をかくとは限らん。しかし名画をかき得る人は必ずこの境を知らねばならん。
 朝飯《あさめし》をすまして、一本の敷島《しきしま》をゆたかに吹かしたるときの余の観想は以上のごとくである。日は霞《かすみ》を離れて高く上《のぼ》っている。障子《しょうじ》をあけて、後《うし》ろの山を眺《なが》めたら、蒼《あお》い樹《き》が非常にすき通って、例になく鮮《あざ》やかに見えた。
 余は常に空気と、物象と、彩色の関係を宇宙《よのなか》でもっとも興味ある研究の一と考えている。色を主にして空気を出すか、物を主にして、空気をかくか。または空気を主にしてそのうちに色と物とを織り出すか。画は少しの気合《きあい》一つでいろいろな調子が出る。この調子は画家自身の嗜好《しこう》で異なってくる。それは無論であるが、時と場所とで、自《おの》ずから制限されるのもまた当前《とうぜん》である。英国人のかいた山水《さんすい》に明るいものは一つもない。明るい画が嫌《きらい》なのかも知れぬが、よし好きであっても、あの空気では、どうする事も出来ない。同じ英人でもグーダルなどは色の調子がまるで違う。違うはずである。彼は英人でありながら、かつて英国の景色《けいしょく》をかいた事がない。彼の画題は彼の郷土にはない。彼の本国に比すると、空気の透明の度の非常に勝《まさ》っている、埃及《エジプト》または波斯辺《ペルシャへん》の光景のみを択《えら》んでいる。したがって彼のかいた画を、始めて見ると誰も驚ろく。英人にもこんな明かな色を出すものがあるかと疑うくらい判然《はっきり》出来上っている。
 個人の嗜好《しこう》はどうする事も出来ん。しかし日本の山水を描くのが主意であるならば、吾々《われわれ》もまた日本固有の空気と色を出さなければならん。いくら仏蘭西《フランス》の絵がうまいと云って、その色をそのままに写して、これが日本の景色《けいしょく》だとは云われない。やはり面《ま》のあたり自然に接して、朝な夕なに雲容煙態《うんようえんたい》を研究したあげく、あの色こそと思ったとき、すぐ三脚几《さんきゃくき》を担いで飛び出さなければならん。色は刹那《せつな》に移る。一たび機を失《しっ》すれば、同じ色は容易に眼には落ちぬ。余が今見上げた山の端《は》には、滅多《めった》にこの辺で見る事の出来ないほどな好《い》い色が充《み》ちている。せっかく来て、あれを逃《にが》すのは惜しいものだ。ちょっと写してきよう。
 襖《ふすま》をあけて、椽側《えんがわ》へ出ると、向う二階の障子《しょうじ》に身を倚《も》たして、那美さんが立っている。顋《あご》を襟《えり》のなかへ埋《うず》めて、横顔だけしか見えぬ。余が挨拶《あいさつ》をしようと思う途端《とたん》に、女は、左の手を落としたまま、右の手を風のごとく動かした。閃《ひらめ》くは稲妻《いなずま》か、二折《ふたお》れ三折《みお》れ胸のあたりを、するりと走るや否《いな》や、かちりと音がして、閃めきはすぐ消えた。女の左り手には九|寸《すん》五|分《ぶ》の白鞘《しらさや》がある。姿はたちまち障子の影に隠れた。余は朝っぱらから歌舞伎座《かぶきざ》を覗《のぞ》いた気で宿を出る。
 門を出て、左へ切れると、すぐ岨道《そばみち》つづきの、爪上《つまあが》りになる。鶯《うぐいす》が所々《ところどころ》で鳴く。左り手がなだらかな谷へ落ちて、蜜柑《みかん》が一面に植えてある。右には高からぬ岡が二つほど並んで、ここにもあるは蜜柑のみと思われる。何年前か一度この地に来た。指を折るのも面倒だ。何でも寒い師走《しわす》の頃であった。その時蜜柑山に蜜柑がべた生《な》りに生る景色を始めて見た。蜜柑取りに一枝売ってくれと云ったら、幾顆《いくつ》でも上げますよ、持っていらっしゃいと答えて、樹《き》の上で妙な節《ふし》の唄《うた》をうたい出した。東京では蜜柑の皮でさえ薬種屋《やくしゅや》へ買いに行かねばならぬのにと思った。夜になると、しきりに銃《つつ》の音がする。何だと聞いたら、猟師《りょうし》が鴨《かも》をとるんだと教えてくれた。その時は那美さんの、なの字も知らずに済んだ。
 あの女を役者にしたら、立派な女形《おんながた》が出来る。普通の役者は、舞台へ出ると、よそ行きの芸をする。あの女は家のなかで、常住《じょうじゅう》芝居をしている。しかも芝居をしているとは気がつかん。自然天然《しぜんてんねん》に芝居をしている。あんなのを美的生活《びてきせいかつ》とでも云うのだろう。あの女の御蔭《おかげ》で画《え》の修業がだいぶ出来た。
 あの女の所作《しょさ》を芝居と見なければ、薄気味がわるくて一日もいたたまれん。義理とか人情とか云う、尋常の道具立《どうぐだて》を背景にして、普通の小説家のような観察点からあの女を研究したら、刺激が強過ぎて、すぐいやになる。現実世界に在《あ》って、余とあの女の間に纏綿《てんめん》した一種の関係が成り立ったとするならば、余の苦痛は恐らく言語《ごんご》に絶するだろう。余のこのたびの旅行は俗情を離れて、あくまで画工になり切るのが主意であるから、眼に入るものはことごとく画として見なければならん。能、芝居、もしくは詩中の人物としてのみ観察しなければならん。この覚悟の眼鏡《めがね》から、あの女を覗《のぞ》いて見ると、あの女は、今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする。自分でうつくしい芸をして見せると云う気がないだけに役者の所作よりもなおうつくしい。
 こんな考《かんがえ》をもつ余を、誤解してはならん。社会の公民として不適当だなどと評してはもっとも不届《ふとど》きである。善は行い難い、徳は施《ほど》こしにくい、節操は守り安からぬ、義のために命を捨てるのは惜しい。これらをあえてするのは何人《なんびと》に取っても苦痛である。その苦痛を冒《おか》すためには、苦痛に打ち勝つだけの愉快がどこかに潜《ひそ》んでおらねばならん。画と云うも、詩と云うも、あるは芝居と云うも、この悲酸《ひさん》のうちに籠《こも》る快感の別号に過ぎん。この趣《おもむ》きを解し得て、始めて吾人《ごじん》の所作は壮烈にもなる、閑雅にもなる、すべての困苦に打ち勝って、胸中の一点の無上趣味を満足せしめたくなる。肉体の苦しみを度外に置いて、物質上の不便を物とも思わず、勇猛|精進《しょうじん》の心を駆《か》って、人道のために、鼎※[#「金+護のつくり」、第3水準1-93-41]《ていかく》に烹《に》らるるを面白く思う。もし人情なる狭《せま》き立脚地に立って、芸術の定義を下し得るとすれば、芸術は、われら教育ある士人の胸裏《きょうり》に潜《ひそ》んで、邪《じゃ》を避《さ》け正《せい》に就《つ》き、曲《きょく》を斥《しりぞ》け直《ちょく》にくみし、弱《じゃく》を扶《たす》け強《きょう》を挫《くじ》かねば、どうしても堪《た》えられぬと云う一念の結晶して、燦《さん》として白日《はくじつ》を射返すものである。
 芝居気があると人の行為を笑う事がある。うつくしき趣味を貫《つらぬ》かんがために、不必要なる犠牲をあえてするの人情に遠きを嗤《わら》うのである。自然にうつくしき性格を発揮するの機会を待たずして、無理矢理に自己の趣味観を衒《てら》うの愚《ぐ》を笑うのである。真に個中《こちゅう》の消息を解し得たるものの嗤うはその意を得ている。趣味の何物たるをも心得ぬ下司下郎《げすげろう》の、わが卑《いや》しき心根に比較して他《た》を賤《いや》しむに至っては許しがたい。昔し巌頭《がんとう》の吟《ぎん》を遺《のこ》して、五十丈の飛瀑《ひばく》を直下して急湍《きゅうたん》に赴《おもむ》いた青年がある。余の視《み》るところにては、彼の青年は美の一字のために、捨つべからざる命を捨てたるものと思う。死そのものは洵《まこと》に壮烈である、ただその死を促《うな》がすの動機に至っては解しがたい。されども死そのものの壮烈をだに体し得ざるものが、いかにして藤村子《ふじむらし》の所作《しょさ》を嗤い得べき。彼らは壮烈の最後を遂《と》ぐるの情趣を味《あじわ》い得ざるが故《ゆえ》に、たとい正当の事情のもとにも、とうてい壮烈の最後を遂げ得べからざる制限ある点において、藤村子よりは人格として劣等であるから、嗤う権利がないものと余は主張する。
 余は画工である。画工であればこそ趣味専門の男として、たとい人情世界に堕在《だざい》するも、東西両隣りの没風流漢《ぼつふうりゅうかん》よりも高尚である。社会の一員として優に他を教育すべき地位に立っている。詩なきもの、画《え》なきもの、芸術のたしなみなきものよりは、美くしき所作が出来る。人情世界にあって、美くしき所作は正である、義である、直である。正と義と直を行為の上において示すものは天下の公民の模範である。
 しばらく人情界を離れたる余は、少なくともこの旅中《りょちゅう》に人情界に帰る必要はない。あってはせっかくの旅が無駄になる。人情世界から、じゃりじゃりする砂をふるって、底にあまる、うつくしい金《きん》のみを眺めて暮さなければならぬ。余|自《みずか》らも社会の一員をもって任じてはおらぬ。純粋なる専門画家として、己《おの》れさえ、纏綿《てんめん》たる利害の累索《るいさく》を絶って、優《ゆう》に画布裏《がふり》に往来している。いわんや山をや水をや他人をや。那美さんの行為動作といえどもただそのままの姿と見るよりほかに致し方がない。
 三丁ほど上《のぼ》ると、向うに白壁の一構《ひとかまえ》が見える。蜜柑《みかん》のなかの住居《すまい》だなと思う。道は間もなく二筋に切れる。白壁を横に見て左りへ折れる時、振り返ったら、下から赤い腰巻《こしまき》をした娘が上《あが》ってくる。腰巻がしだいに尽きて、下から茶色の脛《はぎ》が出る。脛が出切《でき》ったら、藁草履《わらぞうり》になって、その藁草履がだんだん動いて来る。頭の上に山桜が落ちかかる。背中には光る海を負《しょっ》ている。
 岨道《そばみち》を登り切ると、山の出鼻《でばな》の平《たいら》な所へ出た。北側は翠《みど》りを畳《たた》む春の峰で、今朝|椽《えん》から仰いだあたりかも知れない。南側には焼野とも云うべき地勢が幅半丁ほど広がって、末は崩《くず》れた崖《がけ》となる。崖の下は今過ぎた蜜柑山で、村を跨《また》いで向《むこう》を見れば、眼に入るものは言わずも知れた青海《あおうみ》である。
 路《みち》は幾筋もあるが、合うては別れ、別れては合うから、どれが本筋とも認められぬ。どれも路である代りに、どれも路でない。草のなかに、黒赤い地が、見えたり隠れたりして、どの筋につながるか見分《みわけ》のつかぬところに変化があって面白い。
 どこへ腰を据《す》えたものかと、草のなかを遠近《おちこち》と徘徊《はいかい》する。椽《えん》から見たときは画《え》になると思った景色も、いざとなると存外|纏《まと》まらない。色もしだいに変ってくる。草原をのそつくうちに、いつしか描《か》く気がなくなった。描かぬとすれば、地位は構わん、どこへでも坐《すわ》った所がわが住居《すまい》である。染《し》み込んだ春の日が、深く草の根に籠《こも》って、どっかと尻を卸《おろ》すと、眼に入らぬ陽炎《かげろう》を踏《ふ》み潰《つぶ》したような心持ちがする。
 海は足の下に光る。遮ぎる雲の一片《ひとひら》さえ持たぬ春の日影は、普《あま》ねく水の上を照らして、いつの間にかほとぼりは波の底まで浸《し》み渡ったと思わるるほど暖かに見える。色は一刷毛《ひとはけ》の紺青《こんじょう》を平らに流したる所々に、しろかねの細鱗《さいりん》を畳んで濃《こま》やかに動いている。春の日は限り無き天《あめ》が下《した》を照らして、天が下は限りなき水を湛《たた》えたる間には、白き帆が小指の爪《つめ》ほどに見えるのみである。しかもその帆は全く動かない。往昔入貢《そのかみにゅうこう》の高麗船《こまぶね》が遠くから渡ってくるときには、あんなに見えたであろう。そのほかは大千《だいせん》世界を極《きわ》めて、照らす日の世、照らさるる海の世のみである。
 ごろりと寝《ね》る。帽子が額《ひたい》をすべって、やけに阿弥陀《あみだ》となる。所々の草を一二尺|抽《ぬ》いて、木瓜《ぼけ》の小株が茂っている。余が顔はちょうどその一つの前に落ちた。木瓜《ぼけ》は面白い花である。枝は頑固《がんこ》で、かつて曲《まが》った事がない。そんなら真直《まっすぐ》かと云うと、けっして真直でもない。ただ真直な短かい枝に、真直な短かい枝が、ある角度で衝突して、斜《しゃ》に構えつつ全体が出来上っている。そこへ、紅《べに》だか白だか要領を得ぬ花が安閑《あんかん》と咲く。柔《やわら》かい葉さえちらちら着ける。評して見ると木瓜は花のうちで、愚《おろ》かにして悟《さと》ったものであろう。世間には拙《せつ》を守ると云う人がある。この人が来世《らいせ》に生れ変るときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい。
 小供のうち花の咲いた、葉のついた木瓜《ぼけ》を切って、面白く枝振《えだぶり》を作って、筆架《ひつか》をこしらえた事がある。それへ二銭五厘の水筆《すいひつ》を立てかけて、白い穂が花と葉の間から、隠見《いんけん》するのを机へ載《の》せて楽んだ。その日は木瓜《ぼけ》の筆架《ひつか》ばかり気にして寝た。あくる日、眼が覚《さ》めるや否《いな》や、飛び起きて、机の前へ行って見ると、花は萎《な》え葉は枯れて、白い穂だけが元のごとく光っている。あんなに奇麗なものが、どうして、こう一晩のうちに、枯れるだろうと、その時は不審《ふしん》の念に堪《た》えなかった。今思うとその時分の方がよほど出世間的《しゅっせけんてき》である。
 寝《ね》るや否や眼についた木瓜は二十年来の旧知己である。見詰めているとしだいに気が遠くなって、いい心持ちになる。また詩興が浮ぶ。
 寝ながら考える。一句を得るごとに写生帖に記《しる》して行く。しばらくして出来上ったようだ。始めから読み直して見る。
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出門多所思。春風吹吾衣。芳草生車轍。廃道入霞微。停※[#「竹かんむり/(エ+卩)」、第3水準1-89-60]而矚目。万象帯晴暉。聴黄鳥宛転。観落英紛霏。行尽平蕪遠。題詩古寺扉。孤愁高雲際。大空断鴻帰。寸心何窈窕。縹緲忘是非。三十我欲老。韶光猶依々。逍遥随物化。悠然対芬菲。
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 ああ出来た、出来た。これで出来た。寝ながら木瓜を観《み》て、世の中を忘れている感じがよく出た。木瓜が出なくっても、海が出なくっても、感じさえ出ればそれで結構である。と唸《うな》りながら、喜んでいると、エヘンと云う人間の咳払《せきばらい》が聞えた。こいつは驚いた。
 寝返《ねがえ》りをして、声の響いた方を見ると、山の出鼻を回って、雑木《ぞうき》の間から、一人の男があらわれた。
 茶の中折《なかお》れを被《かぶ》っている。中折れの形は崩《くず》れて、傾《かたむ》く縁《へり》の下から眼が見える。眼の恰好《かっこう》はわからんが、たしかにきょろきょろときょろつくようだ。藍《あい》の縞物《しまもの》の尻を端折《はしょ》って、素足《すあし》に下駄がけの出《い》で立《た》ちは、何だか鑑定がつかない。野生《やせい》の髯《ひげ》だけで判断するとまさに野武士《のぶし》の価値はある。
 男は岨道《そばみち》を下りるかと思いのほか、曲り角からまた引き返した。もと来た路へ姿をかくすかと思うと、そうでもない。またあるき直してくる。この草原を、散歩する人のほかに、こんなに行きつ戻りつするものはないはずだ。しかしあれが散歩の姿であろうか。またあんな男がこの近辺《きんぺん》に住んでいるとも考えられない。男は時々立ち留《どま》る。首を傾ける。または四方を見廻わす。大に考え込むようにもある。人を待ち合せる風にも取られる。何だかわからない。
 余はこの物騒《ぶっそう》な男から、ついに吾眼をはなす事ができなかった。別に恐しいでもない、また画《え》にしようと云う気も出ない。ただ眼をはなす事ができなかった。右から左、左りから右と、男に添うて、眼を働かせているうちに、男ははたと留った。留ると共に、またひとりの人物が、余が視界に点出《てんしゅつ》された。
 二人は双方《そうほう》で互に認識したように、しだいに双方から近づいて来る。余が視界はだんだん縮《ちぢ》まって、原の真中で一点の狭《せま》き間に畳《たた》まれてしまう。二人は春の山を背《せ》に、春の海を前に、ぴたりと向き合った。
 男は無論例の野武士《のぶし》である。相手は? 相手は女である。那美《なみ》さんである。
 余は那美さんの姿を見た時、すぐ今朝の短刀を連想した。もしや懐《ふところ》に呑《の》んでおりはせぬかと思ったら、さすが非人情《ひにんじょう》の余もただ、ひやりとした。
 男女は向き合うたまま、しばらくは、同じ態度で立っている。動く景色《けしき》は見えぬ。口は動かしているかも知れんが、言葉はまるで聞えぬ。男はやがて首を垂《た》れた。女は山の方を向く。顔は余の眼に入らぬ。
 山では鶯《うぐいす》が啼《な》く。女は鶯に耳を借して、いるとも見える。しばらくすると、男は屹《きっ》と、垂れた首を挙げて、半《なか》ば踵《くびす》を回《めぐ》らしかける。尋常の様《さま》ではない。女は颯《さっ》と体を開いて、海の方へ向き直る。帯の間から頭を出しているのは懐剣《かいけん》らしい。男は昂然《こうぜん》として、行きかかる。女は二歩《ふたあし》ばかり、男の踵を縫《ぬ》うて進む。女は草履《ぞうり》ばきである。男の留《とま》ったのは、呼び留められたのか。振り向く瞬間に女の右手《めて》は帯の間へ落ちた。あぶない!
 するりと抜け出たのは、九寸五分かと思いのほか、財布《さいふ》のような包み物である。差し出した白い手の下から、長い紐《ひも》がふらふらと春風《しゅんぷう》に揺れる。
 片足を前に、腰から上を少しそらして、差し出した、白い手頸《てくび》に、紫の包。これだけの姿勢で充分|画《え》にはなろう。
 紫でちょっと切れた図面が、二三寸の間隔をとって、振り返る男の体《たい》のこなし具合で、うまい按排《あんばい》につながれている。不即不離《ふそくふり》とはこの刹那《せつな》の有様を形容すべき言葉と思う。女は前を引く態度で、男は後《しり》えに引かれた様子だ。しかもそれが実際に引いてもひかれてもおらん。両者の縁《えん》は紫の財布の尽くる所で、ふつりと切れている。
 二人の姿勢がかくのごとく美妙《びみょう》な調和を保《たも》っていると同時に、両者の顔と、衣服にはあくまで、対照が認められるから、画として見ると一層の興味が深い。
 背《せ》のずんぐりした、色黒の、髯《ひげ》づらと、くっきり締《しま》った細面《ほそおもて》に、襟《えり》の長い、撫肩《なでがた》の、華奢《きゃしゃ》姿。ぶっきらぼうに身をひねった下駄がけの野武士と、不断着《ふだんぎ》の銘仙《めいせん》さえしなやかに着こなした上、腰から上を、おとなしく反《そ》り身に控えたる痩形《やさすがた》。はげた茶の帽子に、藍縞《あいじま》の尻切《しりき》り出立《でだ》ちと、陽炎《かげろう》さえ燃やすべき櫛目《くしめ》の通った鬢《びん》の色に、黒繻子《くろじゅす》のひかる奥から、ちらりと見せた帯上《おびあげ》の、なまめかしさ。すべてが好画題《こうがだい》である。
 男は手を出して財布を受け取る。引きつ引かれつ巧《たく》みに平均を保ちつつあった二人の位置はたちまち崩《くず》れる。女はもう引かぬ、男は引かりょうともせぬ。心的状態が絵を構成する上に、かほどの影響を与えようとは、画家ながら、今まで気がつかなかった。
 二人は左右へ分かれる。双方に気合《きあい》がないから、もう画としては、支離滅裂《しりめつれつ》である。雑木林《ぞうきばやし》の入口で男は一度振り返った。女は後《あと》をも見ぬ。すらすらと、こちらへ歩行《あるい》てくる。やがて余の真正面《ましょうめん》まで来て、
「先生、先生」
と二声《ふたこえ》掛けた。これはしたり、いつ目付《めっ》かったろう。
「何です」
と余は木瓜《ぼけ》の上へ顔を出す。帽子は草原へ落ちた。
「何をそんな所でしていらっしゃる」
「詩を作って寝《ね》ていました」
「うそをおっしゃい。今のを御覧でしょう」
「今の? 今の、あれですか。ええ。少々拝見しました」
「ホホホホ少々でなくても、たくさん御覧なさればいいのに」
「実のところはたくさん拝見しました」
「それ御覧なさい。まあちょっと、こっちへ出ていらっしゃい。木瓜の中から出ていらっしゃい」
 余は唯々《いい》として木瓜の中から出て行く。
「まだ木瓜の中に御用があるんですか」
「もう無いんです。帰ろうかとも思うんです」
「それじゃごいっしょに参りましょうか」
「ええ」
 余は再び唯々として、木瓜の中に退《しりぞ》いて、帽子を被《かぶ》り、絵の道具を纏《まと》めて、那美さんといっしょにあるき出す。
「画を御描きになったの」
「やめました」
「ここへいらしって、まだ一枚も御描きなさらないじゃありませんか」
「ええ」
「でもせっかく画をかきにいらしって、ちっとも御かきなさらなくっちゃ、つまりませんわね」
「なにつまってるんです」
「おやそう。なぜ?」
「なぜでも、ちゃんとつまるんです。画なんぞ描《か》いたって、描かなくったって、つまるところは同《おんな》じ事でさあ」
「そりゃ洒落《しゃれ》なの、ホホホホ随分|呑気《のんき》ですねえ」
「こんな所へくるからには、呑気にでもしなくっちゃ、来た甲斐《かい》がないじゃありませんか」
「なあにどこにいても、呑気にしなくっちゃ、生きている甲斐はありませんよ。私なんぞは、今のようなところを人に見られても恥《はず》かしくも何とも思いません」
「思わんでもいいでしょう」
「そうですかね。あなたは今の男をいったい何だと御思いです」
「そうさな。どうもあまり、金持ちじゃありませんね」
「ホホホ善《よ》くあたりました。あなたは占《うらな》いの名人ですよ。あの男は、貧乏して、日本にいられないからって、私に御金を貰いに来たのです」
「へえ、どこから来たのです」
「城下《じょうか》から来ました」
「随分遠方から来たもんですね。それで、どこへ行くんですか」
「何でも満洲へ行くそうです」
「何しに行くんですか」
「何しに行くんですか。御金を拾いに行くんだか、死にに行くんだか、分りません」
 この時余は眼をあげて、ちょと女の顔を見た。今結んだ口元には、微《かす》かなる笑の影が消えかかりつつある。意味は解《げ》せぬ。
「あれは、わたくしの亭主です」
 迅雷《じんらい》を掩《おお》うに遑《いとま》あらず、女は突然として一太刀《ひとたち》浴びせかけた。余は全く不意撃《ふいうち》を喰《く》った。無論そんな事を聞く気はなし、女も、よもや、ここまで曝《さら》け出そうとは考えていなかった。
「どうです、驚ろいたでしょう」と女が云う。
「ええ、少々驚ろいた」
「今の亭主じゃありません、離縁《りえん》された亭主です」
「なるほど、それで……」
「それぎりです」
「そうですか。――あの蜜柑山《みかんやま》に立派な白壁の家がありますね。ありゃ、いい地位にあるが、誰の家《うち》なんですか」
「あれが兄の家です。帰り路にちょっと寄って、行きましょう」
「用でもあるんですか」
「ええちっと頼まれものがあります」
「いっしょに行きましょう」
 岨道《そばみち》の登り口へ出て、村へ下りずに、すぐ、右に折れて、また一丁ほどを登ると、門がある。門から玄関へかからずに、すぐ庭口へ廻る。女が無遠慮につかつか行くから、余も無遠慮につかつか行く。南向きの庭に、棕梠《しゅろ》が三四本あって、土塀《どべい》の下はすぐ蜜柑畠である。
 女はすぐ、椽鼻《えんばな》へ腰をかけて、云う。
「いい景色だ。御覧なさい」
「なるほど、いいですな」
 障子のうちは、静かに人の気合《けあい》もせぬ。女は音《おと》のう景色もない。ただ腰をかけて、蜜柑畠を見下《みおろ》して平気でいる。余は不思議に思った。元来何の用があるのかしら。
 しまいには話もないから、両方共無言のままで蜜柑畠を見下している。午《ご》に逼《せま》る太陽は、まともに暖かい光線を、山一面にあびせて、眼に余る蜜柑の葉は、葉裏まで、蒸《む》し返《かえ》されて耀《かが》やいている。やがて、裏の納屋《なや》の方で、鶏が大きな声を出して、こけこっこううと鳴く。
「おやもう。御午《おひる》ですね。用事を忘れていた。――久一《きゅういち》さん、久一さん」
 女は及《およ》び腰《ごし》になって、立て切った障子《しょうじ》を、からりと開《あ》ける。内は空《むな》しき十畳敷に、狩野派《かのうは》の双幅《そうふく》が空しく春の床《とこ》を飾っている。
「久一さん」
 納屋《なや》の方でようやく返事がする。足音が襖《ふすま》の向《むこう》でとまって、からりと、開《あ》くが早いか、白鞘《しらさや》の短刀《たんとう》が畳の上へ転《ころ》がり出す。
「そら御伯父《おじ》さんの餞別《せんべつ》だよ」
 帯の間に、いつ手が這入《はい》ったか、余は少しも知らなかった。短刀は二三度とんぼ返りを打って、静かな畳の上を、久一さんの足下《あしもと》へ走る。作りがゆる過ぎたと見えて、ぴかりと、寒いものが一|寸《すん》ばかり光った。

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