2008年11月7日金曜日

 夕暮の机に向う。障子も襖《ふすま》も開《あ》け放《はな》つ。宿の人は多くもあらぬ上に、家は割合に広い。余が住む部屋は、多くもあらぬ人の、人らしく振舞《ふるま》う境《きょう》を、幾曲《いくまがり》の廊下に隔てたれば、物の音さえ思索の煩《わずらい》にはならぬ。今日は一層《ひとしお》静かである。主人も、娘も、下女も下男も、知らぬ間《ま》に、われを残して、立ち退《の》いたかと思われる。立ち退いたとすればただの所へ立ち退きはせぬ。霞《かすみ》の国か、雲の国かであろう。あるいは雲と水が自然に近づいて、舵《かじ》をとるさえ懶《ものう》き海の上を、いつ流れたとも心づかぬ間に、白い帆が雲とも水とも見分け難き境《さかい》に漂《ただよ》い来て、果《は》ては帆みずからが、いずこに己《おの》れを雲と水より差別すべきかを苦しむあたりへ――そんな遥《はる》かな所へ立ち退いたと思われる。それでなければ卒然と春のなかに消え失せて、これまでの四大《しだい》が、今頃は目に見えぬ霊氛《れいふん》となって、広い天地の間に、顕微鏡《けんびきょう》の力を藉《か》るとも、些《さ》の名残《なごり》を留《とど》めぬようになったのであろう。あるいは雲雀《ひばり》に化して、菜《な》の花の黄《き》を鳴き尽したる後《のち》、夕暮深き紫のたなびくほとりへ行ったかも知れぬ。または永き日を、かつ永くする虻《あぶ》のつとめを果したる後、蕋《ずい》に凝《こ》る甘き露を吸い損《そこ》ねて、落椿《おちつばき》の下に、伏せられながら、世を香《かん》ばしく眠っているかも知れぬ。とにかく静かなものだ。
 空《むな》しき家を、空しく抜ける春風《はるかぜ》の、抜けて行くは迎える人への義理でもない。拒《こば》むものへの面当《つらあて》でもない。自《おのず》から来《きた》りて、自から去る、公平なる宇宙の意《こころ》である。掌《たなごころ》に顎《あご》を支《ささ》えたる余の心も、わが住む部屋のごとく空《むな》しければ、春風は招かぬに、遠慮もなく行き抜けるであろう。
 踏むは地と思えばこそ、裂けはせぬかとの気遣《きづかい》も起《おこ》る。戴《いただ》くは天と知る故に、稲妻《いなずま》の米噛《こめかみ》に震《ふる》う怖《おそれ》も出来る。人と争《あらそ》わねば一分《いちぶん》が立たぬと浮世が催促するから、火宅《かたく》の苦《く》は免かれぬ。東西のある乾坤《けんこん》に住んで、利害の綱を渡らねばならぬ身には、事実の恋は讎《あだ》である。目に見る富は土である。握る名と奪える誉《ほまれ》とは、小賢《こざ》かしき蜂《はち》が甘く醸《かも》すと見せて、針を棄《す》て去る蜜のごときものであろう。いわゆる楽《たのしみ》は物に着《ちゃく》するより起るが故《ゆえ》に、あらゆる苦しみを含む。ただ詩人と画客《がかく》なるものあって、飽《あ》くまでこの待対《たいたい》世界の精華を嚼《か》んで、徹骨徹髄《てっこつてつずい》の清きを知る。霞《かすみ》を餐《さん》し、露を嚥《の》み、紫《し》を品《ひん》し、紅《こう》を評《ひょう》して、死に至って悔いぬ。彼らの楽は物に着《ちゃく》するのではない。同化してその物になるのである。その物になり済ました時に、我を樹立すべき余地は茫々《ぼうぼう》たる大地を極《きわ》めても見出《みいだ》し得ぬ。自在《じざい》に泥団《でいだん》を放下《ほうげ》して、破笠裏《はりつり》に無限《むげん》の青嵐《せいらん》を盛《も》る。いたずらにこの境遇を拈出《ねんしゅつ》するのは、敢《あえ》て市井《しせい》の銅臭児《どうしゅうじ》の鬼嚇《きかく》して、好んで高く標置《ひょうち》するがためではない。ただ這裏《しゃり》の福音《ふくいん》を述べて、縁ある衆生《しゅじょう》を麾《さしまね》くのみである。有体《ありてい》に云えば詩境と云い、画界と云うも皆|人々具足《にんにんぐそく》の道である。春秋《しゅんじゅう》に指を折り尽して、白頭《はくとう》に呻吟《しんぎん》するの徒《と》といえども、一生を回顧して、閲歴の波動を順次に点検し来るとき、かつては微光の臭骸《しゅうがい》に洩《も》れて、吾《われ》を忘れし、拍手《はくしゅ》の興《きょう》を喚《よ》び起す事が出来よう。出来ぬと云わば生甲斐《いきがい》のない男である。
 されど一事《いちじ》に即《そく》し、一物《いちぶつ》に化《か》するのみが詩人の感興とは云わぬ。ある時は一弁《いちべん》の花に化し、あるときは一双《いっそう》の蝶《ちょう》に化し、あるはウォーヅウォースのごとく、一団の水仙に化して、心を沢風《たくふう》の裏《うち》に撩乱《りょうらん》せしむる事もあろうが、何《なん》とも知れぬ四辺《しへん》の風光にわが心を奪われて、わが心を奪えるは那物《なにもの》ぞとも明瞭《めいりょう》に意識せぬ場合がある。ある人は天地の耿気《こうき》に触るると云うだろう。ある人は無絃《むげん》の琴《きん》を霊台《れいだい》に聴くと云うだろう。またある人は知りがたく、解しがたき故に無限の域に※[#「にんべん+亶」、第3水準1-14-43]※[#「にんべん+回」、第3水準1-14-18]《せんかい》して、縹緲《ひょうびょう》のちまたに彷徨《ほうこう》すると形容するかも知れぬ。何と云うも皆その人の自由である。わが、唐木《からき》の机に憑《よ》りてぽかんとした心裡《しんり》の状態は正《まさ》にこれである。
 余は明《あきら》かに何事をも考えておらぬ。またはたしかに何物をも見ておらぬ。わが意識の舞台に著るしき色彩をもって動くものがないから、われはいかなる事物に同化したとも云えぬ。されども吾は動いている。世の中に動いてもおらぬ、世の外にも動いておらぬ。ただ何となく動いている。花に動くにもあらず、鳥に動くにもあらず、人間に対して動くにもあらず、ただ恍惚《こうこつ》と動いている。
 強《し》いて説明せよと云わるるならば、余が心はただ春と共に動いていると云いたい。あらゆる春の色、春の風、春の物、春の声を打って、固めて、仙丹《せんたん》に練り上げて、それを蓬莱《ほうらい》の霊液《れいえき》に溶《と》いて、桃源《とうげん》の日で蒸発せしめた精気が、知らぬ間《ま》に毛孔《けあな》から染《し》み込んで、心が知覚せぬうちに飽和《ほうわ》されてしまったと云いたい。普通の同化には刺激がある。刺激があればこそ、愉快であろう。余の同化には、何と同化したか不分明《ふぶんみょう》であるから、毫《ごう》も刺激がない。刺激がないから、窈然《ようぜん》として名状しがたい楽《たのしみ》がある。風に揉《も》まれて上《うわ》の空《そら》なる波を起す、軽薄で騒々しい趣《おもむき》とは違う。目に見えぬ幾尋《いくひろ》の底を、大陸から大陸まで動いている※[#「さんずい+(廣-广)」、第3水準1-87-13]洋《こうよう》たる蒼海《そうかい》の有様と形容する事が出来る。ただそれほどに活力がないばかりだ。しかしそこにかえって幸福がある。偉大なる活力の発現は、この活力がいつか尽き果てるだろうとの懸念《けねん》が籠《こも》る。常の姿にはそう云う心配は伴わぬ。常よりは淡きわが心の、今の状態には、わが烈《はげ》しき力の銷磨《しょうま》しはせぬかとの憂《うれい》を離れたるのみならず、常の心の可もなく不可もなき凡境をも脱却している。淡しとは単に捕《とら》え難しと云う意味で、弱きに過ぎる虞《おそれ》を含んではおらぬ。冲融《ちゅうゆう》とか澹蕩《たんとう》とか云う詩人の語はもっともこの境《きょう》を切実に言い了《おお》せたものだろう。
 この境界《きょうがい》を画《え》にして見たらどうだろうと考えた。しかし普通の画にはならないにきまっている。われらが俗に画と称するものは、ただ眼前《がんぜん》の人事風光をありのままなる姿として、もしくはこれをわが審美眼に漉過《ろくか》して、絵絹《えぎぬ》の上に移したものに過ぎぬ。花が花と見え、水が水と映り、人物が人物として活動すれば、画の能事《のうじ》は終ったものと考えられている。もしこの上に一頭地《いっとうち》を抜けば、わが感じたる物象を、わが感じたるままの趣《おもむき》を添えて、画布の上に淋漓《りんり》として生動《せいどう》させる。ある特別の感興を、己《おの》が捕えたる森羅《しんら》の裡《うち》に寓するのがこの種の技術家の主意であるから、彼らの見たる物象観が明瞭《めいりょう》に筆端に迸《ほとば》しっておらねば、画を製作したとは云わぬ。己《おの》れはしかじかの事を、しかじかに観《み》、しかじかに感じたり、その観方《みかた》も感じ方も、前人《ぜんじん》の籬下《りか》に立ちて、古来の伝説に支配せられたるにあらず、しかももっとも正しくして、もっとも美くしきものなりとの主張を示す作品にあらざれば、わが作と云うをあえてせぬ。
 この二種の製作家に主客《しゅかく》深浅の区別はあるかも知れぬが、明瞭なる外界の刺激を待って、始めて手を下すのは双方共同一である。されど今、わが描かんとする題目は、さほどに分明《ぶんみょう》なものではない。あらん限りの感覚を鼓舞《こぶ》して、これを心外に物色したところで、方円の形、紅緑《こうろく》の色は無論、濃淡の陰、洪繊《こうせん》の線《すじ》を見出しかねる。わが感じは外から来たのではない、たとい来たとしても、わが視界に横《よこた》わる、一定の景物でないから、これが源因《げんいん》だと指を挙《あ》げて明らかに人に示す訳《わけ》に行かぬ。あるものはただ心持ちである。この心持ちを、どうあらわしたら画になるだろう――否《いや》この心持ちをいかなる具体を藉《か》りて、人の合点《がてん》するように髣髴《ほうふつ》せしめ得るかが問題である。
 普通の画は感じはなくても物さえあれば出来る。第二の画は物と感じと両立すればできる。第三に至っては存するものはただ心持ちだけであるから、画にするには是非共この心持ちに恰好《かっこう》なる対象を択《えら》ばなければならん。しかるにこの対象は容易に出て来ない。出て来ても容易に纏《まとま》らない。纏っても自然界に存するものとは丸《まる》で趣《おもむき》を異《こと》にする場合がある。したがって普通の人から見れば画とは受け取れない。描《えが》いた当人も自然界の局部が再現したものとは認めておらん、ただ感興の上《さ》した刻下の心持ちを幾分でも伝えて、多少の生命を※[#「りっしんべん+淌のつくり」、第3水準1-84-54]※[#「りっしんべん+兄」、第3水準1-84-45]《しょうきょう》しがたきムードに与うれば大成功と心得ている。古来からこの難事業に全然の績《いさおし》を収め得たる画工があるかないか知らぬ。ある点までこの流派《りゅうは》に指を染め得たるものを挙《あ》ぐれば、文与可《ぶんよか》の竹である。雲谷《うんこく》門下の山水である。下って大雅堂《たいがどう》の景色《けいしょく》である。蕪村《ぶそん》の人物である。泰西《たいせい》の画家に至っては、多く眼を具象《ぐしょう》世界に馳《は》せて、神往《しんおう》の気韻《きいん》に傾倒せぬ者が大多数を占めているから、この種の筆墨に物外《ぶつがい》の神韻《しんいん》を伝え得るものははたして幾人あるか知らぬ。
 惜しい事に雪舟《せっしゅう》、蕪村らの力《つと》めて描出《びょうしゅつ》した一種の気韻は、あまりに単純でかつあまりに変化に乏しい。筆力の点から云えばとうていこれらの大家に及ぶ訳はないが、今わが画《え》にして見ようと思う心持ちはもう少し複雑である。複雑であるだけにどうも一枚のなかへは感じが収まりかねる。頬杖《ほおづえ》をやめて、両腕を机の上に組んで考えたがやはり出て来ない。色、形、調子が出来て、自分の心が、ああここにいたなと、たちまち自己を認識するようにかかなければならない。生き別れをした吾子《わがこ》を尋ね当てるため、六十余州を回国《かいこく》して、寝《ね》ても寤《さ》めても、忘れる間《ま》がなかったある日、十字街頭にふと邂逅《かいこう》して、稲妻《いなずま》の遮《さえ》ぎるひまもなきうちに、あっ、ここにいた、と思うようにかかなければならない。それがむずかしい。この調子さえ出れば、人が見て何と云っても構わない。画でないと罵《ののし》られても恨《うらみ》はない。いやしくも色の配合がこの心持ちの一部を代表して、線の曲直《きょくちょく》がこの気合の幾分を表現して、全体の配置がこの風韻《ふういん》のどれほどかを伝えるならば、形にあらわれたものは、牛であれ馬であれ、ないしは牛でも馬でも、何でもないものであれ、厭《いと》わない。厭わないがどうも出来ない。写生帖を机の上へ置いて、両眼が帖《じょう》のなかへ落ち込むまで、工夫《くふう》したが、とても物にならん。
 鉛筆を置いて考えた。こんな抽象的《ちゅうしょうてき》な興趣を画にしようとするのが、そもそもの間違である。人間にそう変りはないから、多くの人のうちにはきっと自分と同じ感興に触れたものがあって、この感興を何らの手段かで、永久化せんと試みたに相違ない。試みたとすればその手段は何だろう。
 たちまち音楽[#「音楽」に傍点]の二字がぴかりと眼に映った。なるほど音楽はかかる時、かかる必要に逼《せま》られて生まれた自然の声であろう。楽《がく》は聴《き》くべきもの、習うべきものであると、始めて気がついたが、不幸にして、その辺の消息はまるで不案内である。
 次に詩にはなるまいかと、第三の領分に踏み込んで見る。レッシングと云う男は、時間の経過を条件として起る出来事を、詩の本領であるごとく論じて、詩画は不一にして両様なりとの根本義を立てたように記憶するが、そう詩を見ると、今余の発表しようとあせっている境界《きょうがい》もとうてい物になりそうにない。余が嬉しいと感ずる心裏《しんり》の状況には時間はあるかも知れないが、時間の流れに沿うて、逓次《ていじ》に展開すべき出来事の内容がない。一が去り、二が来《きた》り、二が消えて三が生まるるがために嬉《うれ》しいのではない。初から窈然《ようぜん》として同所《どうしょ》に把住《はじゅう》する趣《おもむ》きで嬉しいのである。すでに同所に把住する以上は、よしこれを普通の言語に翻訳したところで、必ずしも時間的に材料を按排《あんばい》する必要はあるまい。やはり絵画と同じく空間的に景物を配置したのみで出来るだろう。ただいかなる景情《けいじょう》を詩中に持ち来って、この曠然《こうぜん》として倚托《きたく》なき有様を写すかが問題で、すでにこれを捕《とら》え得た以上はレッシングの説に従わんでも詩として成功する訳だ。ホーマーがどうでも、ヴァージルがどうでも構わない。もし詩が一種のムードをあらわすに適しているとすれば、このムードは時間の制限を受けて、順次に進捗《しんちょく》する出来事の助けを藉《か》らずとも、単純に空間的なる絵画上の要件を充《み》たしさえすれば、言語をもって描《えが》き得るものと思う。
 議論はどうでもよい。ラオコーンなどは大概忘れているのだから、よく調べたら、こっちが怪しくなるかも知れない。とにかく、画《え》にしそくなったから、一つ詩にして見よう、と写生帖の上へ、鉛筆を押しつけて、前後に身をゆすぶって見た。しばらくは、筆の先の尖《と》がった所を、どうにか運動させたいばかりで、毫《ごう》も運動させる訳《わけ》に行かなかった。急に朋友《ほうゆう》の名を失念して、咽喉《のど》まで出かかっているのに、出てくれないような気がする。そこで諦《あきら》めると、出損《でそく》なった名は、ついに腹の底へ収まってしまう。
 葛湯《くずゆ》を練るとき、最初のうちは、さらさらして、箸《はし》に手応《てごたえ》がないものだ。そこを辛抱《しんぼう》すると、ようやく粘着《ねばり》が出て、攪《か》き淆《ま》ぜる手が少し重くなる。それでも構わず、箸を休ませずに廻すと、今度は廻し切れなくなる。しまいには鍋《なべ》の中の葛が、求めぬに、先方から、争って箸に附着してくる。詩を作るのはまさにこれだ。
 手掛《てがか》りのない鉛筆が少しずつ動くようになるのに勢を得て、かれこれ二三十分したら、
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青春二三月。愁随芳草長。閑花落空庭。素琴横虚堂。※[#「虫+蕭」、第4水準2-87-94]蛸掛不動。篆煙繞竹梁。
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と云う六句だけ出来た。読み返して見ると、みな画になりそうな句ばかりである。これなら始めから、画にすればよかったと思う。なぜ画よりも詩の方が作り易《やす》かったかと思う。ここまで出たら、あとは大した苦もなく出そうだ。しかし画に出来ない情《じょう》を、次には咏《うた》って見たい。あれか、これかと思い煩《わずら》った末とうとう、
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独坐無隻語。方寸認微光。人間徒多事。此境孰可忘。会得一日静。正知百年忙。遐懐寄何処。緬※[#「しんにょう+貌」、第3水準1-92-58]白雲郷。
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と出来た。もう一返《いっぺん》最初から読み直して見ると、ちょっと面白く読まれるが、どうも、自分が今しがた入《はい》った神境を写したものとすると、索然《さくぜん》として物足りない。ついでだから、もう一首作って見ようかと、鉛筆を握ったまま、何の気もなしに、入口の方を見ると、襖《ふすま》を引いて、開《あ》け放《はな》った幅三尺の空間をちらりと、奇麗な影が通った。はてな。
 余が眼を転じて、入口を見たときは、奇麗なものが、すでに引き開けた襖の影に半分かくれかけていた。しかもその姿は余が見ぬ前から、動いていたものらしく、はっと思う間に通り越した。余は詩をすてて入口を見守る。
 一分と立たぬ間に、影は反対の方から、逆にあらわれて来た。振袖姿《ふりそですがた》のすらりとした女が、音もせず、向う二階の椽側《えんがわ》を寂然《じゃくねん》として歩行《あるい》て行く。余は覚えず鉛筆を落して、鼻から吸いかけた息をぴたりと留めた。
 花曇《はなぐも》りの空が、刻一刻に天から、ずり落ちて、今や降ると待たれたる夕暮の欄干《らんかん》に、しとやかに行き、しとやかに帰る振袖の影は、余が座敷から六|間《けん》の中庭を隔てて、重き空気のなかに蕭寥《しょうりょう》と見えつ、隠れつする。
 女はもとより口も聞かぬ。傍目《わきめ》も触《ふ》らぬ。椽《えん》に引く裾《すそ》の音さえおのが耳に入らぬくらい静かに歩行《ある》いている。腰から下にぱっと色づく、裾模様《すそもよう》は何を染め抜いたものか、遠くて解《わ》からぬ。ただ無地《むじ》と模様のつながる中が、おのずから暈《ぼか》されて、夜と昼との境のごとき心地《ここち》である。女はもとより夜と昼との境をあるいている。
 この長い振袖を着て、長い廊下を何度往き何度戻る気か、余には解からぬ。いつ頃からこの不思議な装《よそおい》をして、この不思議な歩行《あゆみ》をつづけつつあるかも、余には解らぬ。その主意に至ってはもとより解らぬ。もとより解るべきはずならぬ事を、かくまでも端正に、かくまでも静粛に、かくまでも度を重ねて繰り返す人の姿の、入口にあらわれては消え、消えてはあらわるる時の余の感じは一種異様である。逝《ゆ》く春の恨《うらみ》を訴うる所作《しょさ》ならば何が故《ゆえ》にかくは無頓着《むとんじゃく》なる。無頓着なる所作ならば何が故にかくは綺羅《きら》を飾れる。
 暮れんとする春の色の、嬋媛《せんえん》として、しばらくは冥※[#「しんにょう+貌」、第3水準1-92-58]《めいばく》の戸口をまぼろしに彩《いろ》どる中に、眼も醒《さ》むるほどの帯地《おびじ》は金襴《きんらん》か。あざやかなる織物は往きつ、戻りつ蒼然《そうぜん》たる夕べのなかにつつまれて、幽闃《ゆうげき》のあなた、遼遠《りょうえん》のかしこへ一分ごとに消えて去る。燦《きら》めき渡る春の星の、暁《あかつき》近くに、紫深き空の底に陥《おち》いる趣《おもむき》である。
 太玄《たいげん》の※[#「門<昏」、第3水準1-93-52]《もん》おのずから開《ひら》けて、この華《はな》やかなる姿を、幽冥《ゆうめい》の府《ふ》に吸い込まんとするとき、余はこう感じた。金屏《きんびょう》を背に、銀燭《ぎんしょく》を前に、春の宵の一刻を千金と、さざめき暮らしてこそしかるべきこの装《よそおい》の、厭《いと》う景色《けしき》もなく、争う様子も見えず、色相《しきそう》世界から薄れて行くのは、ある点において超自然の情景である。刻々と逼《せま》る黒き影を、すかして見ると女は粛然として、焦《せ》きもせず、狼狽《うろたえ》もせず、同じほどの歩調をもって、同じ所を徘徊《はいかい》しているらしい。身に落ちかかる災《わざわい》を知らぬとすれば無邪気の極《きわみ》である。知って、災と思わぬならば物凄《ものすご》い。黒い所が本来の住居《すまい》で、しばらくの幻影《まぼろし》を、元《もと》のままなる冥漠《めいばく》の裏《うち》に収めればこそ、かように間※[#「(靜-爭)+見」、第3水準1-93-75]《かんせい》の態度で、有《う》と無《む》の間《あいだ》に逍遥《しょうよう》しているのだろう。女のつけた振袖に、紛《ふん》たる模様の尽きて、是非もなき磨墨《するすみ》に流れ込むあたりに、おのが身の素性《すじょう》をほのめかしている。
 またこう感じた。うつくしき人が、うつくしき眠りについて、その眠りから、さめる暇もなく、幻覚《うつつ》のままで、この世の呼吸《いき》を引き取るときに、枕元に病《やまい》を護《まも》るわれらの心はさぞつらいだろう。四苦八苦を百苦に重ねて死ぬならば、生甲斐《いきがい》のない本人はもとより、傍《はた》に見ている親しい人も殺すが慈悲と諦《あき》らめられるかも知れない。しかしすやすやと寝入る児に死ぬべき何の科《とが》があろう。眠りながら冥府《よみ》に連れて行かれるのは、死ぬ覚悟をせぬうちに、だまし打ちに惜しき一命を果《はた》すと同様である。どうせ殺すものなら、とても逃《のが》れぬ定業《じょうごう》と得心もさせ、断念もして、念仏を唱《とな》えたい。死ぬべき条件が具《そな》わらぬ先に、死ぬる事実のみが、ありありと、確かめらるるときに、南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》と回向《えこう》をする声が出るくらいなら、その声でおういおういと、半ばあの世へ足を踏み込んだものを、無理にも呼び返したくなる。仮《か》りの眠りから、いつの間《ま》とも心づかぬうちに、永い眠りに移る本人には、呼び返される方が、切れかかった煩悩《ぼんのう》の綱をむやみに引かるるようで苦しいかも知れぬ。慈悲だから、呼んでくれるな、穏《おだや》かに寝かしてくれと思うかも知れぬ。それでも、われわれは呼び返したくなる。余は今度女の姿が入口にあらわれたなら、呼びかけて、うつつの裡《うち》から救ってやろうかと思った。しかし夢のように、三尺の幅を、すうと抜ける影を見るや否《いな》や、何だか口が聴《き》けなくなる。今度はと心を定めているうちに、すうと苦もなく通ってしまう。なぜ何とも云えぬかと考うる途端《とたん》に、女はまた通る。こちらに窺《うかが》う人があって、その人が自分のためにどれほどやきもき思うているか、微塵《みじん》も気に掛からぬ有様で通る。面倒にも気の毒にも、初手《しょて》から、余のごときものに、気をかねておらぬ有様で通る。今度は今度はと思うているうちに、こらえかねた、雲の層が、持ち切れぬ雨の糸を、しめやかに落し出して、女の影を、蕭々《しょうしょう》と封じ了《おわ》る。

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