2008年11月7日金曜日

 御茶の御馳走《ごちそう》になる。相客《あいきゃく》は僧一人、観海寺《かんかいじ》の和尚《おしょう》で名は大徹《だいてつ》と云うそうだ。俗《ぞく》一人、二十四五の若い男である。
 老人の部屋は、余が室《しつ》の廊下を右へ突き当って、左へ折れた行《い》き留《どま》りにある。大《おおき》さは六畳もあろう。大きな紫檀《したん》の机を真中に据《す》えてあるから、思ったより狭苦しい。それへと云う席を見ると、布団《ふとん》の代りに花毯《かたん》が敷いてある。無論支那製だろう。真中を六角に仕切《しき》って、妙な家と、妙な柳が織り出してある。周囲《まわり》は鉄色に近い藍《あい》で、四隅《よすみ》に唐草《からくさ》の模様を飾った茶の輪《わ》を染め抜いてある。支那ではこれを座敷に用いたものか疑わしいが、こうやって布団に代用して見るとすこぶる面白い。印度《インド》の更紗《さらさ》とか、ペルシャの壁掛《かべかけ》とか号するものが、ちょっと間《ま》が抜けているところに価値があるごとく、この花毯もこせつかないところに趣《おもむき》がある。花毯ばかりではない、すべて支那の器具は皆抜けている。どうしても馬鹿で気の長い人種の発明したものとほか取れない。見ているうちに、ぼおっとするところが尊《とう》とい。日本は巾着切《きんちゃくき》りの態度で美術品を作る。西洋は大きくて細《こま》かくて、そうしてどこまでも娑婆気《しゃばっけ》がとれない。まずこう考えながら席に着く。若い男は余とならんで、花毯の半《なかば》を占領した。
 和尚は虎の皮の上へ坐った。虎の皮の尻尾が余の膝《ひざ》の傍を通り越して、頭は老人の臀《しり》の下に敷かれている。老人は頭の毛をことごとく抜いて、頬と顎《あご》へ移植したように、白い髯《ひげ》をむしゃむしゃと生《は》やして、茶托《ちゃたく》へ載《の》せた茶碗を丁寧に机の上へならべる。
「今日《きょう》は久し振りで、うちへ御客が見えたから、御茶を上げようと思って、……」と坊さんの方を向くと、
「いや、御使《おつかい》をありがとう。わしも、だいぶ御無沙汰《ごぶさた》をしたから、今日ぐらい来て見ようかと思っとったところじゃ」と云う。この僧は六十近い、丸顔の、達磨《だるま》を草書《そうしょ》に崩《くず》したような容貌《ようぼう》を有している。老人とは平常《ふだん》からの昵懇《じっこん》と見える。
「この方《かた》が御客さんかな」
 老人は首肯《うなずき》ながら、朱泥《しゅでい》の急須《きゅうす》から、緑を含む琥珀色《こはくいろ》の玉液《ぎょくえき》を、二三滴ずつ、茶碗の底へしたたらす。清い香《かお》りがかすかに鼻を襲《おそ》う気分がした。
「こんな田舎《いなか》に一人《ひとり》では御淋《おさみ》しかろ」と和尚《おしょう》はすぐ余に話しかけた。
「はああ」となんともかとも要領を得ぬ返事をする。淋《さび》しいと云えば、偽《いつわ》りである。淋しからずと云えば、長い説明が入る。
「なんの、和尚さん。このかたは画《え》を書かれるために来られたのじゃから、御忙《おいそ》がしいくらいじゃ」
「おお左様《さよう》か、それは結構だ。やはり南宗派《なんそうは》かな」
「いいえ」と今度は答えた。西洋画だなどと云っても、この和尚にはわかるまい。
「いや、例の西洋画じゃ」と老人は、主人役に、また半分引き受けてくれる。
「ははあ、洋画か。すると、あの久一《きゅういち》さんのやられるようなものかな。あれは、わしこの間始めて見たが、随分奇麗にかけたのう」
「いえ、詰らんものです」と若い男がこの時ようやく口を開いた。
「御前何ぞ和尚さんに見ていただいたか」と老人が若い男に聞く。言葉から云うても、様子から云うても、どうも親類らしい。
「なあに、見ていただいたんじゃないですが、鏡《かがみ》が池《いけ》で写生しているところを和尚さんに見つかったのです」
「ふん、そうか――さあ御茶が注《つ》げたから、一杯」と老人は茶碗を各自《めいめい》の前に置く。茶の量は三四滴に過ぎぬが、茶碗はすこぶる大きい。生壁色《なまかべいろ》の地へ、焦《こ》げた丹《たん》と、薄い黄《き》で、絵だか、模様だか、鬼の面の模様になりかかったところか、ちょっと見当のつかないものが、べたに描《か》いてある。
「杢兵衛《もくべえ》です」と老人が簡単に説明した。
「これは面白い」と余も簡単に賞《ほ》めた。
「杢兵衛はどうも偽物《にせもの》が多くて、――その糸底《いとぞこ》を見て御覧なさい。銘《めい》があるから」と云う。
 取り上げて、障子《しょうじ》の方へ向けて見る。障子には植木鉢の葉蘭《はらん》の影が暖かそうに写っている。首を曲《ま》げて、覗《のぞ》き込むと、杢《もく》の字が小さく見える。銘は観賞の上において、さのみ大切のものとは思わないが、好事者《こうずしゃ》はよほどこれが気にかかるそうだ。茶碗を下へ置かないで、そのまま口へつけた。濃く甘《あま》く、湯加減《ゆかげん》に出た、重い露を、舌の先へ一しずくずつ落して味《あじわ》って見るのは閑人適意《かんじんてきい》の韻事《いんじ》である。普通の人は茶を飲むものと心得ているが、あれは間違だ。舌頭《ぜっとう》へぽたりと載《の》せて、清いものが四方へ散れば咽喉《のど》へ下《くだ》るべき液はほとんどない。ただ馥郁《ふくいく》たる匂《におい》が食道から胃のなかへ沁《し》み渡るのみである。歯を用いるは卑《いや》しい。水はあまりに軽い。玉露《ぎょくろ》に至っては濃《こまや》かなる事、淡水《たんすい》の境《きょう》を脱して、顎《あご》を疲らすほどの硬《かた》さを知らず。結構な飲料である。眠られぬと訴うるものあらば、眠らぬも、茶を用いよと勧めたい。
 老人はいつの間にやら、青玉《せいぎょく》の菓子皿を出した。大きな塊《かたまり》を、かくまで薄く、かくまで規則正しく、刳《く》りぬいた匠人《しょうじん》の手際《てぎわ》は驚ろくべきものと思う。すかして見ると春の日影は一面に射《さ》し込んで、射し込んだまま、逃《の》がれ出《い》ずる路《みち》を失ったような感じである。中には何も盛らぬがいい。
「御客さんが、青磁《せいじ》を賞《ほ》められたから、今日はちとばかり見せようと思うて、出して置きました」
「どの青磁を――うん、あの菓子鉢かな。あれは、わしも好《すき》じゃ。時にあなた、西洋画では襖《ふすま》などはかけんものかな。かけるなら一つ頼みたいがな」
 かいてくれなら、かかぬ事もないが、この和尚《おしょう》の気に入《い》るか入らぬかわからない。せっかく骨を折って、西洋画は駄目だなどと云われては、骨の折栄《おりばえ》がない。
「襖には向かないでしょう」
「向かんかな。そうさな、この間《あいだ》の久一さんの画《え》のようじゃ、少し派手《はで》過ぎるかも知れん」
「私のは駄目です。あれはまるでいたずらです」と若い男はしきりに、恥《はず》かしがって謙遜《けんそん》する。
「その何とか云う池はどこにあるんですか」と余は若い男に念のため尋ねて置く。
「ちょっと観海寺の裏の谷の所で、幽邃《ゆうすい》な所です。――なあに学校にいる時分、習ったから、退屈まぎれに、やって見ただけです」
「観海寺と云うと……」
「観海寺と云うと、わしのいる所じゃ。いい所じゃ、海を一目《ひとめ》に見下《みおろ》しての――まあ逗留《とうりゅう》中にちょっと来て御覧。なに、ここからはつい五六丁よ。あの廊下から、そら、寺の石段が見えるじゃろうが」
「いつか御邪魔に上《あが》ってもいいですか」
「ああいいとも、いつでもいる。ここの御嬢さんも、よう、来られる。――御嬢さんと云えば今日は御那美《おなみ》さんが見えんようだが――どうかされたかな、隠居さん」
「どこぞへ出ましたかな、久一《きゅういち》、御前の方へ行きはせんかな」
「いいや、見えません」
「また独《ひと》り散歩かな、ハハハハ。御那美さんはなかなか足が強い。この間《あいだ》法用で礪並《となみ》まで行ったら、姿見橋《すがたみばし》の所で――どうも、善く似とると思ったら、御那美さんよ。尻を端折《はしょ》って、草履《ぞうり》を穿《は》いて、和尚《おしょう》さん、何をぐずぐず、どこへ行きなさると、いきなり、驚ろかされたて、ハハハハ。御前はそんな形姿《なり》で地体《じたい》どこへ、行ったのぞいと聴くと、今|芹摘《せりつ》みに行った戻りじゃ、和尚さん少しやろうかと云うて、いきなりわしの袂《たもと》へ泥《どろ》だらけの芹を押し込んで、ハハハハハ」
「どうも、……」と老人は苦笑《にがわら》いをしたが、急に立って「実はこれを御覧に入れるつもりで」と話をまた道具の方へそらした。
 老人が紫檀《したん》の書架から、恭《うやうや》しく取り下《おろ》した紋緞子《もんどんす》の古い袋は、何だか重そうなものである。
「和尚さん、あなたには、御目に懸《か》けた事があったかな」
「なんじゃ、一体」
「硯《すずり》よ」
「へえ、どんな硯かい」
「山陽《さんよう》の愛蔵したと云う……」
「いいえ、そりゃまだ見ん」
「春水《しゅんすい》の替え蓋《ぶた》がついて……」
「そりゃ、まだのようだ。どれどれ」
 老人は大事そうに緞子の袋の口を解くと、小豆色《あずきいろ》の四角な石が、ちらりと角《かど》を見せる。
「いい色合《いろあい》じゃのう。端渓《たんけい》かい」
「端渓で※[#「句+鳥」、第3水準1-94-56]※[#「谷+鳥」、第3水準1-94-60]眼《くよくがん》が九《ここの》つある」
「九つ?」と和尚|大《おおい》に感じた様子である。
「これが春水の替え蓋」と老人は綸子《りんず》で張った薄い蓋を見せる。上に春水の字で七言絶句《しちごんぜっく》が書いてある。
「なるほど。春水はようかく。ようかくが、書《しょ》は杏坪《きょうへい》の方が上手《じょうず》じゃて」
「やはり杏坪の方がいいかな」
「山陽《さんよう》が一番まずいようだ。どうも才子肌《さいしはだ》で俗気《ぞくき》があって、いっこう面白うない」
「ハハハハ。和尚《おしょう》さんは、山陽が嫌《きら》いだから、今日は山陽の幅《ふく》を懸け替《か》えて置いた」
「ほんに」と和尚さんは後《うし》ろを振り向く。床《とこ》は平床《ひらどこ》を鏡のようにふき込んで、※[#「金+粛」、第3水準1-93-39]気《さびけ》を吹いた古銅瓶《こどうへい》には、木蘭《もくらん》を二尺の高さに、活《い》けてある。軸《じく》は底光りのある古錦襴《こきんらん》に、装幀《そうてい》の工夫《くふう》を籠《こ》めた物徂徠《ぶっそらい》の大幅《たいふく》である。絹地ではないが、多少の時代がついているから、字の巧拙に論なく、紙の色が周囲のきれ地とよく調和して見える。あの錦襴も織りたては、あれほどのゆかしさも無かったろうに、彩色《さいしき》が褪《あ》せて、金糸《きんし》が沈んで、華麗《はで》なところが滅《め》り込んで、渋いところがせり出して、あんないい調子になったのだと思う。焦茶《こげちゃ》の砂壁《すなかべ》に、白い象牙《ぞうげ》の軸《じく》が際立《きわだ》って、両方に突張っている、手前に例の木蘭がふわりと浮き出されているほかは、床《とこ》全体の趣《おもむき》は落ちつき過ぎてむしろ陰気である。
「徂徠《そらい》かな」と和尚《おしょう》が、首を向けたまま云う。
「徂徠もあまり、御好きでないかも知れんが、山陽よりは善かろうと思うて」
「それは徂徠の方が遥《はる》かにいい。享保《きょうほ》頃の学者の字はまずくても、どこぞに品《ひん》がある」
「広沢《こうたく》をして日本の能書《のうしょ》ならしめば、われはすなわち漢人の拙《せつ》なるものと云うたのは、徂徠だったかな、和尚さん」
「わしは知らん。そう威張《いば》るほどの字でもないて、ワハハハハ」
「時に和尚さんは、誰を習われたのかな」
「わしか。禅坊主《ぜんぼうず》は本も読まず、手習《てならい》もせんから、のう」
「しかし、誰ぞ習われたろう」
「若い時に高泉《こうせん》の字を、少し稽古《けいこ》した事がある。それぎりじゃ。それでも人に頼まれればいつでも、書きます。ワハハハハ。時にその端渓《たんけい》を一つ御見せ」と和尚が催促する。
 とうとう緞子《どんす》の袋を取り除《の》ける。一座の視線はことごとく硯《すずり》の上に落ちる。厚さはほとんど二寸に近いから、通例のものの倍はあろう。四寸に六寸の幅も長さもまず並《なみ》と云ってよろしい。蓋《ふた》には、鱗《うろこ》のかたに研《みが》きをかけた松の皮をそのまま用いて、上には朱漆《しゅうるし》で、わからぬ書体が二字ばかり書いてある。
「この蓋が」と老人が云う。「この蓋が、ただの蓋ではないので、御覧の通り、松の皮には相違ないが……」
 老人の眼は余の方を見ている。しかし松の皮の蓋にいかなる因縁《いんねん》があろうと、画工として余はあまり感服は出来んから、
「松の蓋は少し俗ですな」
と云った。老人はまあと云わぬばかりに手を挙《あ》げて、
「ただ松の蓋と云うばかりでは、俗でもあるが、これはその何ですよ。山陽《さんよう》が広島におった時に庭に生えていた松の皮を剥《は》いで山陽が手ずから製したのですよ」
 なるほど山陽《さんよう》は俗な男だと思ったから、
「どうせ、自分で作るなら、もっと不器用に作れそうなものですな。わざとこの鱗《うろこ》のかたなどをぴかぴか研《と》ぎ出さなくっても、よさそうに思われますが」と遠慮のないところを云って退《の》けた。
「ワハハハハ。そうよ、この蓋《ふた》はあまり安っぽいようだな」と和尚《おしょう》はたちまち余に賛成した。
 若い男は気の毒そうに、老人の顔を見る。老人は少々不機嫌の体《てい》に蓋を払いのけた。下からいよいよ硯《すずり》が正体《しょうたい》をあらわす。
 もしこの硯について人の眼を峙《そばだ》つべき特異の点があるとすれば、その表面にあらわれたる匠人《しょうじん》の刻《こく》である。真中《まんなか》に袂時計《たもとどけい》ほどな丸い肉が、縁《ふち》とすれすれの高さに彫《ほ》り残されて、これを蜘蛛《くも》の背《せ》に象《かた》どる。中央から四方に向って、八本の足が彎曲《わんきょく》して走ると見れば、先には各《おのおの》※[#「句+鳥」、第3水準1-94-56]※[#「谷+鳥」、第3水準1-94-60]眼《くよくがん》を抱《かか》えている。残る一個は背の真中に、黄《き》な汁《しる》をしたたらしたごとく煮染《にじ》んで見える。背と足と縁を残して余る部分はほとんど一寸余の深さに掘り下げてある。墨を湛《たた》える所は、よもやこの塹壕《ざんごう》の底ではあるまい。たとい一合の水を注ぐともこの深さを充《み》たすには足らぬ。思うに水盂《すいう》の中《うち》から、一滴の水を銀杓《ぎんしゃく》にて、蜘蛛《くも》の背に落したるを、貴《とうと》き墨に磨《す》り去るのだろう。それでなければ、名は硯でも、その実は純然たる文房用《ぶんぼうよう》の装飾品に過ぎぬ。
 老人は涎《よだれ》の出そうな口をして云う。
「この肌合《はだあい》と、この眼《がん》を見て下さい」
 なるほど見れば見るほどいい色だ。寒く潤沢《じゅんたく》を帯びたる肌の上に、はっと、一息懸《ひといきか》けたなら、直《ただ》ちに凝《こ》って、一朶《いちだ》の雲を起すだろうと思われる。ことに驚くべきは眼の色である。眼の色と云わんより、眼と地の相交《あいまじ》わる所が、次第に色を取り替えて、いつ取り替えたか、ほとんど吾眼《わがめ》の欺《あざむ》かれたるを見出し得ぬ事である。形容して見ると紫色の蒸羊羹《むしようかん》の奥に、隠元豆《いんげんまめ》を、透《す》いて見えるほどの深さに嵌《は》め込んだようなものである。眼と云えば一個二個でも大変に珍重される。九個と云ったら、ほとんど類《るい》はあるまい。しかもその九個が整然と同距離に按排《あんばい》されて、あたかも人造のねりものと見違えらるるに至ってはもとより天下の逸品《いっぴん》をもって許さざるを得ない。
「なるほど結構です。観《み》て心持がいいばかりじゃありません。こうして触《さわ》っても愉快です」と云いながら、余は隣りの若い男に硯を渡した。
「久一《きゅういち》に、そんなものが解るかい」と老人が笑いながら聞いて見る。久一君は、少々自棄《やけ》の気味で、
「分りゃしません」と打ち遣《や》ったように云い放ったが、わからん硯を、自分の前へ置いて、眺《なが》めていては、もったいないと気がついたものか、また取り上げて、余に返した。余はもう一|遍《ぺん》丁寧に撫《な》で廻わした後《のち》、とうとうこれを恭《うやうや》しく禅師《ぜんじ》に返却した。禅師はとくと掌《て》の上で見済ました末、それでは飽《あ》き足らぬと考えたと見えて、鼠木綿《ねずみもめん》の着物の袖《そで》を容赦なく蜘蛛《くも》の背へこすりつけて、光沢《つや》の出た所をしきりに賞翫《しょうがん》している。
「隠居さん、どうもこの色が実に善《よ》いな。使うた事があるかの」
「いいや、滅多《めった》には使いとう、ないから、まだ買うたなりじゃ」
「そうじゃろ。こないなのは支那《しな》でも珍らしかろうな、隠居さん」
「左様《さよう》」
「わしも一つ欲しいものじゃ。何なら久一さんに頼もうか。どうかな、買うて来ておくれかな」
「へへへへ。硯《すずり》を見つけないうちに、死んでしまいそうです」
「本当に硯どころではないな。時にいつ御立ちか」
「二三日《にさんち》うちに立ちます」
「隠居さん。吉田まで送って御やり」
「普段なら、年は取っとるし、まあ見合《みあわ》すところじゃが、ことによると、もう逢《あ》えんかも、知れんから、送ってやろうと思うております」
「御伯父《おじ》さんは送ってくれんでもいいです」
 若い男はこの老人の甥《おい》と見える。なるほどどこか似ている。
「なあに、送って貰うがいい。川船《かわふね》で行けば訳はない。なあ隠居さん」
「はい、山越《やまごし》では難義だが、廻り路でも船なら……」
 若い男は今度は別に辞退もしない。ただ黙っている。
「支那の方へおいでですか」と余はちょっと聞いて見た。
「ええ」
 ええの二字では少し物足らなかったが、その上掘って聞く必要もないから控《ひか》えた。障子《しょうじ》を見ると、蘭《らん》の影が少し位置を変えている。
「なあに、あなた。やはり今度の戦争で――これがもと志願兵をやったものだから、それで召集されたので」
 老人は当人に代って、満洲の野《や》に日ならず出征すべきこの青年の運命を余に語《つ》げた。この夢のような詩のような春の里に、啼《な》くは鳥、落つるは花、湧《わ》くは温泉《いでゆ》のみと思い詰《つ》めていたのは間違である。現実世界は山を越え、海を越えて、平家《へいけ》の後裔《こうえい》のみ住み古るしたる孤村にまで逼《せま》る。朔北《さくほく》の曠野《こうや》を染むる血潮の何万分の一かは、この青年の動脈から迸《ほとばし》る時が来るかも知れない。この青年の腰に吊《つ》る長き剣《つるぎ》の先から煙りとなって吹くかも知れない。しかしてその青年は、夢みる事よりほかに、何らの価値を、人生に認め得ざる一画工の隣りに坐っている。耳をそばだつれば彼が胸に打つ心臓の鼓動さえ聞き得るほど近くに坐っている。その鼓動のうちには、百里の平野を捲《ま》く高き潮《うしお》が今すでに響いているかも知れぬ。運命は卒然《そつぜん》としてこの二人を一堂のうちに会したるのみにて、その他には何事をも語らぬ。

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