2008年11月7日金曜日

「おい」と声を掛けたが返事がない。
 軒下《のきした》から奥を覗《のぞ》くと煤《すす》けた障子《しょうじ》が立て切ってある。向う側は見えない。五六足の草鞋《わらじ》が淋《さび》しそうに庇《ひさし》から吊《つる》されて、屈托気《くったくげ》にふらりふらりと揺れる。下に駄菓子《だがし》の箱が三つばかり並んで、そばに五厘銭と文久銭《ぶんきゅうせん》が散らばっている。
「おい」とまた声をかける。土間の隅《すみ》に片寄せてある臼《うす》の上に、ふくれていた鶏《にわとり》が、驚ろいて眼をさます。ククク、クククと騒ぎ出す。敷居の外に土竈《どべっつい》が、今しがたの雨に濡れて、半分ほど色が変ってる上に、真黒な茶釜《ちゃがま》がかけてあるが、土の茶釜か、銀の茶釜かわからない。幸い下は焚《た》きつけてある。
 返事がないから、無断でずっと這入《はい》って、床几《しょうぎ》の上へ腰を卸《おろ》した。鶏《にわとり》は羽摶《はばた》きをして臼《うす》から飛び下りる。今度は畳の上へあがった。障子《しょうじ》がしめてなければ奥まで馳《か》けぬける気かも知れない。雄が太い声でこけっこっこと云うと、雌が細い声でけけっこっこと云う。まるで余を狐か狗《いぬ》のように考えているらしい。床几の上には一升枡《いっしょうます》ほどな煙草盆《たばこぼん》が閑静に控えて、中にはとぐろを捲《ま》いた線香が、日の移るのを知らぬ顔で、すこぶる悠長《ゆうちょう》に燻《いぶ》っている。雨はしだいに収まる。
 しばらくすると、奥の方から足音がして、煤《すす》けた障子がさらりと開《あ》く。なかから一人の婆さんが出る。
 どうせ誰か出るだろうとは思っていた。竈《へつい》に火は燃えている。菓子箱の上に銭が散らばっている。線香は呑気《のんき》に燻っている。どうせ出るにはきまっている。しかし自分の見世《みせ》を明《あ》け放しても苦にならないと見えるところが、少し都とは違っている。返事がないのに床几に腰をかけて、いつまでも待ってるのも少し二十世紀とは受け取れない。ここらが非人情で面白い。その上出て来た婆さんの顔が気に入った。
 二三年前|宝生《ほうしょう》の舞台で高砂《たかさご》を見た事がある。その時これはうつくしい活人画《かつじんが》だと思った。箒《ほうき》を担《かつ》いだ爺さんが橋懸《はしがか》りを五六歩来て、そろりと後向《うしろむき》になって、婆さんと向い合う。その向い合うた姿勢が今でも眼につく。余の席からは婆さんの顔がほとんど真《ま》むきに見えたから、ああうつくしいと思った時に、その表情はぴしゃりと心のカメラへ焼き付いてしまった。茶店の婆さんの顔はこの写真に血を通わしたほど似ている。
「御婆さん、ここをちょっと借りたよ」
「はい、これは、いっこう存じませんで」
「だいぶ降ったね」
「あいにくな御天気で、さぞ御困りで御座んしょ。おおおおだいぶお濡《ぬ》れなさった。今火を焚《た》いて乾《かわ》かして上げましょ」
「そこをもう少し燃《も》しつけてくれれば、あたりながら乾かすよ。どうも少し休んだら寒くなった」
「へえ、ただいま焚いて上げます。まあ御茶を一つ」
と立ち上がりながら、しっしっと二声《ふたこえ》で鶏《にわとり》を追い下《さ》げる。ここここと馳《か》け出した夫婦は、焦茶色《こげちゃいろ》の畳から、駄菓子箱の中を踏みつけて、往来へ飛び出す。雄の方が逃げるとき駄菓子の上へ糞《ふん》を垂《た》れた。
「まあ一つ」と婆さんはいつの間《ま》にか刳《く》り抜き盆の上に茶碗をのせて出す。茶の色の黒く焦《こ》げている底に、一筆《ひとふで》がきの梅の花が三輪|無雑作《むぞうさ》に焼き付けられている。
「御菓子を」と今度は鶏の踏みつけた胡麻《ごま》ねじと微塵棒《みじんぼう》を持ってくる。糞《ふん》はどこぞに着いておらぬかと眺《なが》めて見たが、それは箱のなかに取り残されていた。
 婆さんは袖無《そでな》しの上から、襷《たすき》をかけて、竈《へっつい》の前へうずくまる。余は懐《ふところ》から写生帖を取り出して、婆さんの横顔を写しながら、話しをしかける。
「閑静でいいね」
「へえ、御覧の通りの山里《やまざと》で」
「鶯《うぐいす》は鳴くかね」
「ええ毎日のように鳴きます。此辺《ここら》は夏も鳴きます」
「聞きたいな。ちっとも聞えないとなお聞きたい」
「あいにく今日《きょう》は――先刻《さっき》の雨でどこぞへ逃げました」
 折りから、竈のうちが、ぱちぱちと鳴って、赤い火が颯《さっ》と風を起して一尺あまり吹き出す。
「さあ、御《お》あたり。さぞ御寒かろ」と云う。軒端《のきば》を見ると青い煙りが、突き当って崩《くず》れながらに、微《かす》かな痕《あと》をまだ板庇《いたびさし》にからんでいる。
「ああ、好《い》い心持ちだ、御蔭《おかげ》で生き返った」
「いい具合に雨も晴れました。そら天狗巌《てんぐいわ》が見え出しました」
 逡巡《しゅんじゅん》として曇り勝ちなる春の空を、もどかしとばかりに吹き払う山嵐の、思い切りよく通り抜けた前山《ぜんざん》の一角《いっかく》は、未練もなく晴れ尽して、老嫗《ろうう》の指さす方《かた》に※[#「山/贊」、第4水準2-8-72]※[#「山+元」、第3水準1-47-69]《さんがん》と、あら削《けず》りの柱のごとく聳《そび》えるのが天狗岩だそうだ。
 余はまず天狗巌を眺《なが》めて、次に婆さんを眺めて、三度目には半々《はんはん》に両方を見比《みくら》べた。画家として余が頭のなかに存在する婆さんの顔は高砂《たかさご》の媼《ばば》と、蘆雪《ろせつ》のかいた山姥《やまうば》のみである。蘆雪の図を見たとき、理想の婆さんは物凄《ものすご》いものだと感じた。紅葉《もみじ》のなかか、寒い月の下に置くべきものと考えた。宝生《ほうしょう》の別会能《べつかいのう》を観るに及んで、なるほど老女にもこんな優しい表情があり得るものかと驚ろいた。あの面《めん》は定めて名人の刻んだものだろう。惜しい事に作者の名は聞き落したが、老人もこうあらわせば、豊かに、穏《おだ》やかに、あたたかに見える。金屏《きんびょう》にも、春風《はるかぜ》にも、あるは桜にもあしらって差《さ》し支《つかえ》ない道具である。余は天狗岩よりは、腰をのして、手を翳《かざ》して、遠く向うを指《ゆびさ》している、袖無し姿の婆さんを、春の山路《やまじ》の景物として恰好《かっこう》なものだと考えた。余が写生帖を取り上げて、今しばらくという途端《とたん》に、婆さんの姿勢は崩れた。
 手持無沙汰《てもちぶさた》に写生帖を、火にあてて乾《かわ》かしながら、
「御婆さん、丈夫そうだね」と訊《たず》ねた。
「はい。ありがたい事に達者で――針も持ちます、苧《お》もうみます、御団子《おだんご》の粉《こ》も磨《ひ》きます」
 この御婆さんに石臼《いしうす》を挽《ひ》かして見たくなった。しかしそんな注文も出来ぬから、
「ここから那古井《なこい》までは一里|足《た》らずだったね」と別な事を聞いて見る。
「はい、二十八丁と申します。旦那《だんな》は湯治《とうじ》に御越《おこ》しで……」
「込み合わなければ、少し逗留《とうりゅう》しようかと思うが、まあ気が向けばさ」
「いえ、戦争が始まりましてから、頓《とん》と参るものは御座いません。まるで締め切り同様で御座います」
「妙な事だね。それじゃ泊《と》めてくれないかも知れんね」
「いえ、御頼みになればいつでも宿《と》めます」
「宿屋はたった一軒だったね」
「へえ、志保田《しほだ》さんと御聞きになればすぐわかります。村のものもちで、湯治場だか、隠居所だかわかりません」
「じゃ御客がなくても平気な訳だ」
「旦那は始めてで」
「いや、久しい以前ちょっと行った事がある」
 会話はちょっと途切《とぎ》れる。帳面をあけて先刻《さっき》の鶏を静かに写生していると、落ちついた耳の底へじゃらんじゃらんと云う馬の鈴が聴《きこ》え出した。この声がおのずと、拍子《ひょうし》をとって頭の中に一種の調子が出来る。眠りながら、夢に隣りの臼の音に誘われるような心持ちである。余は鶏の写生をやめて、同じページの端《はじ》に、
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春風や惟然《いねん》が耳に馬の鈴
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と書いて見た。山を登ってから、馬には五六匹逢った。逢った五六匹は皆腹掛をかけて、鈴を鳴らしている。今の世の馬とは思われない。
 やがて長閑《のどか》な馬子唄《まごうた》が、春に更《ふ》けた空山一路《くうざんいちろ》の夢を破る。憐れの底に気楽な響がこもって、どう考えても画《え》にかいた声だ。
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馬子唄《まごうた》の鈴鹿《すずか》越ゆるや春の雨
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と、今度は斜《はす》に書きつけたが、書いて見て、これは自分の句でないと気がついた。
「また誰ぞ来ました」と婆さんが半《なか》ば独《ひと》り言《ごと》のように云う。
 ただ一条《ひとすじ》の春の路だから、行くも帰るも皆近づきと見える。最前|逢《お》うた五六匹のじゃらんじゃらんもことごとくこの婆さんの腹の中でまた誰ぞ来たと思われては山を下《くだ》り、思われては山を登ったのだろう。路|寂寞《じゃくまく》と古今《ここん》の春を貫《つらぬ》いて、花を厭《いと》えば足を着くるに地なき小村《こむら》に、婆さんは幾年《いくねん》の昔からじゃらん、じゃらんを数え尽くして、今日《こんにち》の白頭《はくとう》に至ったのだろう。
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馬子《まご》唄や白髪《しらが》も染めで暮るる春
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と次のページへ認《したた》めたが、これでは自分の感じを云い終《おお》せない、もう少し工夫《くふう》のありそうなものだと、鉛筆の先を見詰めながら考えた。何でも白髪[#「白髪」に傍点]という字を入れて、幾代の節[#「幾代の節」に傍点]と云う句を入れて、馬子唄[#「馬子唄」に傍点]という題も入れて、春の季《き》も加えて、それを十七字に纏《まと》めたいと工夫しているうちに、
「はい、今日は」と実物の馬子が店先に留《とま》って大きな声をかける。
「おや源さんか。また城下へ行くかい」
「何か買物があるなら頼まれて上げよ」
「そうさ、鍛冶町《かじちょう》を通ったら、娘に霊厳寺《れいがんじ》の御札《おふだ》を一枚もらってきておくれなさい」
「はい、貰ってきよ。一枚か。――御秋《おあき》さんは善《よ》い所へ片づいて仕合せだ。な、御叔母《おば》さん」
「ありがたい事に今日《こんにち》には困りません。まあ仕合せと云うのだろか」
「仕合せとも、御前。あの那古井《なこい》の嬢さまと比べて御覧」
「本当に御気の毒な。あんな器量を持って。近頃はちっとは具合がいいかい」
「なあに、相変らずさ」
「困るなあ」と婆さんが大きな息をつく。
「困るよう」と源さんが馬の鼻を撫《な》でる。
 枝繁《えだしげ》き山桜の葉も花も、深い空から落ちたままなる雨の塊《かた》まりを、しっぽりと宿していたが、この時わたる風に足をすくわれて、いたたまれずに、仮《か》りの住居《すまい》を、さらさらと転《ころ》げ落ちる。馬は驚ろいて、長い鬣《たてがみ》を上下《うえした》に振る。
「コーラッ」と叱《しか》りつける源さんの声が、じゃらん、じゃらんと共に余の冥想《めいそう》を破る。
 御婆さんが云う。「源さん、わたしゃ、お嫁入りのときの姿が、まだ眼前《めさき》に散らついている。裾模様《すそもよう》の振袖《ふりそで》に、高島田《たかしまだ》で、馬に乗って……」
「そうさ、船ではなかった。馬であった。やはりここで休んで行ったな、御叔母《おば》さん」
「あい、その桜の下で嬢様の馬がとまったとき、桜の花がほろほろと落ちて、せっかくの島田に斑《ふ》が出来ました」
 余はまた写生帖をあける。この景色は画《え》にもなる、詩にもなる。心のうちに花嫁の姿を浮べて、当時の様を想像して見てしたり顔に、
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花の頃を越えてかしこし馬に嫁
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と書きつける。不思議な事には衣装《いしょう》も髪も馬も桜もはっきりと目に映じたが、花嫁の顔だけは、どうしても思いつけなかった。しばらくあの顔か、この顔か、と思案しているうちに、ミレーのかいた、オフェリヤの面影《おもかげ》が忽然《こつぜん》と出て来て、高島田の下へすぽりとはまった。これは駄目だと、せっかくの図面を早速《さっそく》取り崩《くず》す。衣装も髪も馬も桜も一瞬間に心の道具立から奇麗《きれい》に立ち退《の》いたが、オフェリヤの合掌して水の上を流れて行く姿だけは、朦朧《もうろう》と胸の底に残って、棕梠箒《しゅろぼうき》で煙を払うように、さっぱりしなかった。空に尾を曳《ひ》く彗星《すいせい》の何となく妙な気になる。
「それじゃ、まあ御免」と源さんが挨拶《あいさつ》する。
「帰りにまた御寄《およ》り。あいにくの降りで七曲《ななまが》りは難義だろ」
「はい、少し骨が折れよ」と源さんは歩行《あるき》出す。源さんの馬も歩行出す。じゃらんじゃらん。
「あれは那古井《なこい》の男かい」
「はい、那古井の源兵衛で御座んす」
「あの男がどこぞの嫁さんを馬へ乗せて、峠《とうげ》を越したのかい」
「志保田の嬢様が城下へ御輿入《おこしいれ》のときに、嬢様を青馬《あお》に乗せて、源兵衛が覊絏《はづな》を牽《ひ》いて通りました。――月日の立つのは早いもので、もう今年で五年になります」
 鏡に対《むか》うときのみ、わが頭の白きを喞《かこ》つものは幸の部に属する人である。指を折って始めて、五年の流光に、転輪の疾《と》き趣《おもむき》を解し得たる婆さんは、人間としてはむしろ仙《せん》に近づける方だろう。余はこう答えた。
「さぞ美くしかったろう。見にくればよかった」
「ハハハ今でも御覧になれます。湯治場《とうじば》へ御越しなされば、きっと出て御挨拶をなされましょう」
「はあ、今では里にいるのかい。やはり裾模様《すそもよう》の振袖《ふりそで》を着て、高島田に結《い》っていればいいが」
「たのんで御覧なされ。着て見せましょ」
 余はまさかと思ったが、婆さんの様子は存外|真面目《まじめ》である。非人情の旅にはこんなのが出なくては面白くない。婆さんが云う。
「嬢様と長良《ながら》の乙女《おとめ》とはよく似ております」
「顔がかい」
「いいえ。身の成り行きがで御座んす」
「へえ、その長良の乙女と云うのは何者かい」
「昔《むか》しこの村に長良の乙女と云う、美くしい長者《ちょうじゃ》の娘が御座りましたそうな」
「へえ」
「ところがその娘に二人の男が一度に懸想《けそう》して、あなた」
「なるほど」
「ささだ男に靡《なび》こうか、ささべ男に靡こうかと、娘はあけくれ思い煩《わずら》ったが、どちらへも靡きかねて、とうとう
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あきづけばをばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも
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と云う歌を咏《よ》んで、淵川《ふちかわ》へ身を投げて果《は》てました」
 余はこんな山里へ来て、こんな婆さんから、こんな古雅《こが》な言葉で、こんな古雅な話をきこうとは思いがけなかった。
「これから五丁東へ下《くだ》ると、道端《みちばた》に五輪塔《ごりんのとう》が御座んす。ついでに長良《ながら》の乙女《おとめ》の墓を見て御行きなされ」
 余は心のうちに是非見て行こうと決心した。婆さんは、そのあとを語りつづける。
「那古井の嬢様にも二人の男が祟《たた》りました。一人は嬢様が京都へ修行に出て御出《おい》での頃|御逢《おあ》いなさったので、一人はここの城下で随一の物持ちで御座んす」
「はあ、御嬢さんはどっちへ靡いたかい」
「御自身は是非京都の方へと御望みなさったのを、そこには色々な理由《わけ》もありましたろが、親ご様が無理にこちらへ取りきめて……」
「めでたく、淵川《ふちかわ》へ身を投げんでも済んだ訳だね」
「ところが――先方《さき》でも器量望みで御貰《おもら》いなさったのだから、随分大事にはなさったかも知れませぬが、もともと強《し》いられて御出なさったのだから、どうも折合《おりあい》がわるくて、御親類でもだいぶ御心配の様子で御座んした。ところへ今度の戦争で、旦那様の勤めて御出の銀行がつぶれました。それから嬢様はまた那古井の方へ御帰りになります。世間では嬢様の事を不人情だとか、薄情だとか色々申します。もとは極々《ごくごく》内気《うちき》の優しいかたが、この頃ではだいぶ気が荒くなって、何だか心配だと源兵衛が来るたびに申します。……」
 これからさきを聞くと、せっかくの趣向《しゅこう》が壊《こわ》れる。ようやく仙人になりかけたところを、誰か来て羽衣《はごろも》を帰せ帰せと催促《さいそく》するような気がする。七曲《ななまが》りの険を冒《おか》して、やっとの思《おもい》で、ここまで来たものを、そうむやみに俗界に引きずり下《おろ》されては、飄然《ひょうぜん》と家を出た甲斐《かい》がない。世間話しもある程度以上に立ち入ると、浮世の臭《にお》いが毛孔《けあな》から染込《しみこ》んで、垢《あか》で身体《からだ》が重くなる。
「御婆さん、那古井へは一筋道だね」と十銭銀貨を一枚|床几《しょうぎ》の上へかちりと投げ出して立ち上がる。
「長良《ながら》の五輪塔から右へ御下《おくだ》りなさると、六丁ほどの近道になります。路《みち》はわるいが、御若い方にはその方《ほう》がよろしかろ。――これは多分に御茶代を――気をつけて御越しなされ」

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