2008年11月7日金曜日

 昨夕《ゆうべ》は妙な気持ちがした。
 宿へ着いたのは夜の八時頃であったから、家の具合《ぐあい》庭の作り方は無論、東西の区別さえわからなかった。何だか廻廊のような所をしきりに引き廻されて、しまいに六畳ほどの小さな座敷へ入れられた。昔《むか》し来た時とはまるで見当が違う。晩餐《ばんさん》を済まして、湯に入《い》って、室《へや》へ帰って茶を飲んでいると、小女《こおんな》が来て床《とこ》を延《の》べよかと云《い》う。
 不思議に思ったのは、宿へ着いた時の取次も、晩食《ばんめし》の給仕も、湯壺《ゆつぼ》への案内も、床を敷く面倒も、ことごとくこの小女一人で弁じている。それで口は滅多《めった》にきかぬ。と云うて、田舎染《いなかじ》みてもおらぬ。赤い帯を色気《いろけ》なく結んで、古風な紙燭《しそく》をつけて、廊下のような、梯子段《はしごだん》のような所をぐるぐる廻わらされた時、同じ帯の同じ紙燭で、同じ廊下とも階段ともつかぬ所を、何度も降《お》りて、湯壺へ連れて行かれた時は、すでに自分ながら、カンヴァスの中を往来しているような気がした。
 給仕の時には、近頃は客がないので、ほかの座敷は掃除がしてないから、普段《ふだん》使っている部屋で我慢してくれと云った。床を延べる時にはゆるりと御休みと人間らしい、言葉を述べて、出て行ったが、その足音が、例の曲りくねった廊下を、次第に下の方へ遠《とおざ》かった時に、あとがひっそりとして、人の気《け》がしないのが気になった。
 生れてから、こんな経験はただ一度しかない。昔し房州《ぼうしゅう》を館山《たてやま》から向うへ突き抜けて、上総《かずさ》から銚子《ちょうし》まで浜伝いに歩行《あるい》た事がある。その時ある晩、ある所へ宿《とまっ》た。ある所と云うよりほかに言いようがない。今では土地の名も宿の名も、まるで忘れてしまった。第一宿屋へとまったのかが問題である。棟《むね》の高い大きな家に女がたった二人いた。余がとめるかと聞いたとき、年を取った方がはいと云って、若い方がこちらへと案内をするから、ついて行くと、荒れ果てた、広い間《ま》をいくつも通り越して一番奥の、中二階《ちゅうにかい》へ案内をした。三段登って廊下から部屋へ這入《はい》ろうとすると、板庇《いたびさし》の下に傾《かたむ》きかけていた一叢《ひとむら》の修竹《しゅうちく》が、そよりと夕風を受けて、余の肩から頭を撫《な》でたので、すでにひやりとした。椽板《えんいた》はすでに朽《く》ちかかっている。来年は筍《たけのこ》が椽を突き抜いて座敷のなかは竹だらけになろうと云ったら、若い女が何にも云わずににやにやと笑って、出て行った。
 その晩は例の竹が、枕元で婆娑《ばさ》ついて、寝られない。障子《しょうじ》をあけたら、庭は一面の草原で、夏の夜の月明《つきあきら》かなるに、眼を走《は》しらせると、垣も塀《へい》もあらばこそ、まともに大きな草山に続いている。草山の向うはすぐ大海原《おおうなばら》でどどんどどんと大きな濤《なみ》が人の世を威嚇《おどか》しに来る。余はとうとう夜の明けるまで一睡もせずに、怪し気な蚊帳《かや》のうちに辛防《しんぼう》しながら、まるで草双紙《くさぞうし》にでもありそうな事だと考えた。
 その後《ご》旅もいろいろしたが、こんな気持になった事は、今夜この那古井へ宿るまではかつて無かった。
 仰向《あおむけ》に寝ながら、偶然目を開《あ》けて見ると欄間《らんま》に、朱塗《しゅぬ》りの縁《ふち》をとった額《がく》がかかっている。文字《もじ》は寝ながらも竹影《ちくえい》払階《かいをはらって》塵不動《ちりうごかず》と明らかに読まれる。大徹《だいてつ》という落款《らっかん》もたしかに見える。余は書においては皆無鑒識《かいむかんしき》のない男だが、平生から、黄檗《おうばく》の高泉和尚《こうせんおしょう》の筆致《ひっち》を愛している。隠元《いんげん》も即非《そくひ》も木庵《もくあん》もそれぞれに面白味はあるが、高泉《こうせん》の字が一番|蒼勁《そうけい》でしかも雅馴《がじゅん》である。今この七字を見ると、筆のあたりから手の運び具合、どうしても高泉としか思われない。しかし現《げん》に大徹とあるからには別人だろう。ことによると黄檗に大徹という坊主がいたかも知れぬ。それにしては紙の色が非常に新しい。どうしても昨今のものとしか受け取れない。
 横を向く。床《とこ》にかかっている若冲《じゃくちゅう》の鶴の図が目につく。これは商売柄《しょうばいがら》だけに、部屋に這入《はい》った時、すでに逸品《いっぴん》と認めた。若冲の図は大抵|精緻《せいち》な彩色ものが多いが、この鶴は世間に気兼《きがね》なしの一筆《ひとふで》がきで、一本足ですらりと立った上に、卵形《たまごなり》の胴がふわっと乗《のっ》かっている様子は、はなはだ吾意《わがい》を得て、飄逸《ひょういつ》の趣《おもむき》は、長い嘴《はし》のさきまで籠《こも》っている。床の隣りは違い棚を略して、普通の戸棚につづく。戸棚の中には何があるか分らない。
 すやすやと寝入る。夢に。
 長良《ながら》の乙女《おとめ》が振袖を着て、青馬《あお》に乗って、峠を越すと、いきなり、ささだ男と、ささべ男が飛び出して両方から引っ張る。女が急にオフェリヤになって、柳の枝へ上《のぼ》って、河の中を流れながら、うつくしい声で歌をうたう。救ってやろうと思って、長い竿《さお》を持って、向島《むこうじま》を追懸《おっか》けて行く。女は苦しい様子もなく、笑いながら、うたいながら、行末《ゆくえ》も知らず流れを下る。余は竿をかついで、おおいおおいと呼ぶ。
 そこで眼が醒《さ》めた。腋《わき》の下から汗が出ている。妙に雅俗混淆《がぞくこんこう》な夢を見たものだと思った。昔し宋《そう》の大慧禅師《だいえぜんじ》と云う人は、悟道の後《のち》、何事も意のごとくに出来ん事はないが、ただ夢の中では俗念が出て困ると、長い間これを苦にされたそうだが、なるほどもっともだ。文芸を性命《せいめい》にするものは今少しうつくしい夢を見なければ幅《はば》が利《き》かない。こんな夢では大部分画にも詩にもならんと思いながら、寝返りを打つと、いつの間にか障子《しょうじ》に月がさして、木の枝が二三本|斜《なな》めに影をひたしている。冴《さ》えるほどの春の夜《よ》だ。
 気のせいか、誰か小声で歌をうたってるような気がする。夢のなかの歌が、この世へ抜け出したのか、あるいはこの世の声が遠き夢の国へ、うつつながらに紛《まぎ》れ込んだのかと耳を峙《そばだ》てる。たしかに誰かうたっている。細くかつ低い声には相違ないが、眠らんとする春の夜《よ》に一縷《いちる》の脈をかすかに搏《う》たせつつある。不思議な事に、その調子はとにかく、文句をきくと――枕元でやってるのでないから、文句のわかりようはない。――その聞えぬはずのものが、よく聞える。あきづけば、をばなが上に、おく露の、けぬべくもわは、おもほゆるかもと長良《ながら》の乙女《おとめ》の歌を、繰り返し繰り返すように思われる。
 初めのうちは椽《えん》に近く聞えた声が、しだいしだいに細く遠退《とおの》いて行く。突然とやむものには、突然の感はあるが、憐《あわ》れはうすい。ふっつりと思い切ったる声をきく人の心には、やはりふっつりと思い切ったる感じが起る。これと云う句切りもなく自然《じねん》に細《ほそ》りて、いつの間にか消えるべき現象には、われもまた秒《びょう》を縮め、分《ふん》を割《さ》いて、心細さの細さが細る。死なんとしては、死なんとする病夫《びょうふ》のごとく、消えんとしては、消えんとする灯火《とうか》のごとく、今やむか、やむかとのみ心を乱すこの歌の奥には、天下の春の恨《うら》みをことごとく萃《あつ》めたる調べがある。
 今までは床《とこ》の中に我慢して聞いていたが、聞く声の遠ざかるに連れて、わが耳は、釣り出さるると知りつつも、その声を追いかけたくなる。細くなればなるほど、耳だけになっても、あとを慕《した》って飛んで行きたい気がする。もうどう焦慮《あせっ》ても鼓膜《こまく》に応《こた》えはあるまいと思う一刹那《いっせつな》の前、余はたまらなくなって、われ知らず布団《ふとん》をすり抜けると共にさらりと障子《しょうじ》を開《あ》けた。途端《とたん》に自分の膝《ひざ》から下が斜《なな》めに月の光りを浴びる。寝巻《ねまき》の上にも木の影が揺れながら落ちた。
 障子をあけた時にはそんな事には気がつかなかった。あの声はと、耳の走る見当を見破ると――向うにいた。花ならば海棠《かいどう》かと思わるる幹を背《せ》に、よそよそしくも月の光りを忍んで朦朧《もうろう》たる影法師《かげぼうし》がいた。あれかと思う意識さえ、確《しか》とは心にうつらぬ間に、黒いものは花の影を踏み砕《くだ》いて右へ切れた。わがいる部屋つづきの棟《むね》の角《かど》が、すらりと動く、背《せい》の高い女姿を、すぐに遮《さえぎ》ってしまう。
 借着《かりぎ》の浴衣《ゆかた》一枚で、障子へつらまったまま、しばらく茫然《ぼうぜん》としていたが、やがて我に帰ると、山里の春はなかなか寒いものと悟った。ともかくもと抜け出でた布団の穴に、再び帰参《きさん》して考え出した。括《くく》り枕《まくら》のしたから、袂時計《たもとどけい》を出して見ると、一時十分過ぎである。再び枕の下へ押し込んで考え出した。よもや化物《ばけもの》ではあるまい。化物でなければ人間で、人間とすれば女だ。あるいは此家《ここ》の御嬢さんかも知れない。しかし出帰《でがえ》りの御嬢さんとしては夜なかに山つづきの庭へ出るのがちと不穏当《ふおんとう》だ。何にしてもなかなか寝られない。枕の下にある時計までがちくちく口をきく。今まで懐中時計の音の気になった事はないが、今夜に限って、さあ考えろ、さあ考えろと催促するごとく、寝るな寝るなと忠告するごとく口をきく。怪《け》しからん。
 怖《こわ》いものもただ怖いものそのままの姿と見れば詩になる。凄《すご》い事も、己《おの》れを離れて、ただ単独に凄いのだと思えば画《え》になる。失恋が芸術の題目となるのも全くその通りである。失恋の苦しみを忘れて、そのやさしいところやら、同情の宿《やど》るところやら、憂《うれい》のこもるところやら、一歩進めて云えば失恋の苦しみそのものの溢《あふ》るるところやらを、単に客観的に眼前《がんぜん》に思い浮べるから文学美術の材料になる。世には有りもせぬ失恋を製造して、自《みず》から強《し》いて煩悶《はんもん》して、愉快を貪《むさ》ぼるものがある。常人《じょうにん》はこれを評して愚《ぐ》だと云う、気違だと云う。しかし自から不幸の輪廓を描《えが》いて好《この》んでその中《うち》に起臥《きが》するのは、自から烏有《うゆう》の山水を刻画《こくが》して壺中《こちゅう》の天地《てんち》に歓喜すると、その芸術的の立脚地《りっきゃくち》を得たる点において全く等しいと云わねばならぬ。この点において世上幾多の芸術家は(日常の人としてはいざ知らず)芸術家として常人よりも愚である、気違である。われわれは草鞋旅行《わらじたび》をする間《あいだ》、朝から晩まで苦しい、苦しいと不平を鳴らしつづけているが、人に向って曾遊《そうゆう》を説く時分には、不平らしい様子は少しも見せぬ。面白かった事、愉快であった事は無論、昔の不平をさえ得意に喋々《ちょうちょう》して、したり顔である。これはあえて自《みずか》ら欺《あざむ》くの、人を偽《いつ》わるのと云う了見《りょうけん》ではない。旅行をする間は常人[#「常人」に傍点]の心持ちで、曾遊を語るときはすでに詩人[#「詩人」に傍点]の態度にあるから、こんな矛盾が起る。して見ると四角な世界から常識と名のつく、一角《いっかく》を磨滅《まめつ》して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。
 この故《ゆえ》に天然《てんねん》にあれ、人事にあれ、衆俗《しゅうぞく》の辟易《へきえき》して近づきがたしとなすところにおいて、芸術家は無数の琳琅《りんろう》を見、無上《むじょう》の宝※[#「王へん+路」、第3水準1-88-29]《ほうろ》を知る。俗にこれを名《なづ》けて美化《びか》と云う。その実は美化でも何でもない。燦爛《さんらん》たる彩光《さいこう》は、炳乎《へいこ》として昔から現象世界に実在している。ただ一翳《いちえい》眼に在《あ》って空花乱墜《くうげらんつい》するが故に、俗累《ぞくるい》の覊絏牢《きせつろう》として絶《た》ちがたきが故に、栄辱得喪《えいじょくとくそう》のわれに逼《せま》る事、念々切《せつ》なるが故に、ターナーが汽車を写すまでは汽車の美を解せず、応挙《おうきょ》が幽霊を描《えが》くまでは幽霊の美を知らずに打ち過ぎるのである。
 余が今見た影法師も、ただそれきりの現象とすれば、誰《だ》れが見ても、誰《だれ》に聞かしても饒《ゆたか》に詩趣を帯びている。――孤村《こそん》の温泉、――春宵《しゅんしょう》の花影《かえい》、――月前《げつぜん》の低誦《ていしょう》、――朧夜《おぼろよ》の姿――どれもこれも芸術家の好題目《こうだいもく》である。この好題目が眼前《がんぜん》にありながら、余は入《い》らざる詮義立《せんぎだ》てをして、余計な探《さ》ぐりを投げ込んでいる。せっかくの雅境に理窟《りくつ》の筋が立って、願ってもない風流を、気味の悪《わ》るさが踏みつけにしてしまった。こんな事なら、非人情も標榜《ひょうぼう》する価値がない。もう少し修行をしなければ詩人とも画家とも人に向って吹聴《ふいちょう》する資格はつかぬ。昔し以太利亜《イタリア》の画家サルヴァトル・ロザは泥棒が研究して見たい一心から、おのれの危険を賭《かけ》にして、山賊の群《むれ》に這入《はい》り込んだと聞いた事がある。飄然《ひょうぜん》と画帖を懐《ふところ》にして家を出《い》でたからには、余にもそのくらいの覚悟がなくては恥ずかしい事だ。
 こんな時にどうすれば詩的な立脚地《りっきゃくち》に帰れるかと云えば、おのれの感じ、そのものを、おのが前に据《す》えつけて、その感じから一歩|退《しりぞ》いて有体《ありてい》に落ちついて、他人らしくこれを検査する余地さえ作ればいいのである。詩人とは自分の屍骸《しがい》を、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務を有している。その方便は色々あるが一番|手近《てぢか》なのは何《なん》でも蚊《か》でも手当り次第十七字にまとめて見るのが一番いい。十七字は詩形としてもっとも軽便であるから、顔を洗う時にも、厠《かわや》に上《のぼ》った時にも、電車に乗った時にも、容易に出来る。十七字が容易に出来ると云う意味は安直《あんちょく》に詩人になれると云う意味であって、詩人になると云うのは一種の悟《さと》りであるから軽便だと云って侮蔑《ぶべつ》する必要はない。軽便であればあるほど功徳《くどく》になるからかえって尊重すべきものと思う。まあちょっと腹が立つと仮定する。腹が立ったところをすぐ十七字にする。十七字にするときは自分の腹立ちがすでに他人に変じている。腹を立ったり、俳句を作ったり、そう一人《ひとり》が同時に働けるものではない。ちょっと涙をこぼす。この涙を十七字にする。するや否《いな》やうれしくなる。涙を十七字に纏《まと》めた時には、苦しみの涙は自分から遊離《ゆうり》して、おれは泣く事の出来る男だと云う嬉《うれ》しさだけの自分になる。
 これが平生《へいぜい》から余の主張である。今夜も一つこの主張を実行して見ようと、夜具の中で例の事件を色々と句に仕立てる。出来たら書きつけないと散漫《さんまん》になっていかぬと、念入りの修業だから、例の写生帖をあけて枕元へ置く。
「海棠《かいだう》の露をふるふや物狂《ものぐる》ひ」と真先《まっさき》に書き付けて読んで見ると、別に面白くもないが、さりとて気味のわるい事もない。次に「花の影、女の影の朧《おぼろ》かな」とやったが、これは季が重《かさ》なっている。しかし何でも構わない、気が落ちついて呑気《のんき》になればいい。それから「正一位《しやういちゐ》、女に化《ば》けて朧月《おぼろづき》」と作ったが、狂句めいて、自分ながらおかしくなった。
 この調子なら大丈夫と乗気《のりき》になって出るだけの句をみなかき付ける。
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春の星を落して夜半《よは》のかざしかな
春の夜の雲に濡らすや洗ひ髪
春や今宵《こよひ》歌つかまつる御姿
海棠《かいだう》の精が出てくる月夜かな
うた折々月下の春ををちこちす
思ひ切つて更け行く春の独りかな
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などと、試みているうち、いつしか、うとうと眠くなる。
 恍惚《こうこつ》と云うのが、こんな場合に用いるべき形容詞かと思う。熟睡のうちには何人《なんびと》も我を認め得ぬ。明覚《めいかく》の際には誰《たれ》あって外界《がいかい》を忘るるものはなかろう。ただ両域の間に縷《る》のごとき幻境が横《よこた》わる。醒《さ》めたりと云うには余り朧《おぼろ》にて、眠ると評せんには少しく生気《せいき》を剰《あま》す。起臥《きが》の二界を同瓶裏《どうへいり》に盛りて、詩歌《しいか》の彩管《さいかん》をもって、ひたすらに攪《か》き雑《ま》ぜたるがごとき状態を云うのである。自然の色を夢の手前《てまえ》までぼかして、ありのままの宇宙を一段、霞《かすみ》の国へ押し流す。睡魔の妖腕《ようわん》をかりて、ありとある実相の角度を滑《なめら》かにすると共に、かく和《やわ》らげられたる乾坤《けんこん》に、われからと微《かす》かに鈍《にぶ》き脈を通わせる。地を這《は》う煙の飛ばんとして飛び得ざるごとく、わが魂《たましい》の、わが殻《から》を離れんとして離るるに忍びざる態《てい》である。抜け出《い》でんとして逡巡《ためら》い、逡巡いては抜け出でんとし、果《は》ては魂と云う個体を、もぎどうに保《たも》ちかねて、氤※[#「气<慍のつくり」、第3水準1-86-48]《いんうん》たる瞑氛《めいふん》が散るともなしに四肢五体に纏綿《てんめん》して、依々《いい》たり恋々《れんれん》たる心持ちである。
 余が寤寐《ごび》の境《さかい》にかく逍遥《しょうよう》していると、入口の唐紙《からかみ》がすうと開《あ》いた。あいた所へまぼろしのごとく女の影がふうと現われた。余は驚きもせぬ。恐れもせぬ。ただ心地《ここち》よく眺《なが》めている。眺めると云うてはちと言葉が強過ぎる。余が閉《と》じている瞼《まぶた》の裏《うち》に幻影《まぼろし》の女が断《ことわ》りもなく滑《すべ》り込んで来たのである。まぼろしはそろりそろりと部屋のなかに這入《はい》る。仙女《せんにょ》の波をわたるがごとく、畳の上には人らしい音も立たぬ。閉ずる眼《まなこ》のなかから見る世の中だから確《しか》とは解らぬが、色の白い、髪の濃い、襟足《えりあし》の長い女である。近頃はやる、ぼかした写真を灯影《ほかげ》にすかすような気がする。
 まぼろしは戸棚《とだな》の前でとまる。戸棚があく。白い腕が袖《そで》をすべって暗闇《くらやみ》のなかにほのめいた。戸棚がまたしまる。畳の波がおのずから幻影を渡し返す。入口の唐紙がひとりでに閉《た》たる。余が眠りはしだいに濃《こま》やかになる。人に死して、まだ牛にも馬にも生れ変らない途中はこんなであろう。
 いつまで人と馬の相中《あいなか》に寝ていたかわれは知らぬ。耳元にききっと女の笑い声がしたと思ったら眼がさめた。見れば夜の幕はとくに切り落されて、天下は隅《すみ》から隅まで明るい。うららかな春日《はるび》が丸窓の竹格子《たけごうし》を黒く染め抜いた様子を見ると、世の中に不思議と云うものの潜《ひそ》む余地はなさそうだ。神秘は十万億土《じゅうまんおくど》へ帰って、三途《さんず》の川《かわ》の向側《むこうがわ》へ渡ったのだろう。
 浴衣《ゆかた》のまま、風呂場《ふろば》へ下りて、五分ばかり偶然と湯壺《ゆつぼ》のなかで顔を浮かしていた。洗う気にも、出る気にもならない。第一|昨夕《ゆうべ》はどうしてあんな心持ちになったのだろう。昼と夜を界《さかい》にこう天地が、でんぐり返るのは妙だ。
 身体《からだ》を拭《ふ》くさえ退儀《たいぎ》だから、いい加減にして、濡《ぬ》れたまま上《あが》って、風呂場の戸を内から開《あ》けると、また驚かされた。
「御早う。昨夕《ゆうべ》はよく寝られましたか」
 戸を開けるのと、この言葉とはほとんど同時にきた。人のいるさえ予期しておらぬ出合頭《であいがしら》の挨拶《あいさつ》だから、さそくの返事も出る遑《いとま》さえないうちに、
「さ、御召《おめ》しなさい」
と後《うし》ろへ廻って、ふわりと余の背中《せなか》へ柔かい着物をかけた。ようやくの事「これはありがとう……」だけ出して、向き直る、途端《とたん》に女は二三歩|退《しりぞ》いた。
 昔から小説家は必ず主人公の容貌《ようぼう》を極力描写することに相場がきまってる。古今東西の言語で、佳人《かじん》の品評《ひんぴょう》に使用せられたるものを列挙したならば、大蔵経《だいぞうきょう》とその量を争うかも知れぬ。この辟易《へきえき》すべき多量の形容詞中から、余と三歩の隔《へだた》りに立つ、体《たい》を斜《なな》めに捩《ねじ》って、後目《しりめ》に余が驚愕《きょうがく》と狼狽《ろうばい》を心地《ここち》よげに眺《なが》めている女を、もっとも適当に叙《じょ》すべき用語を拾い来ったなら、どれほどの数になるか知れない。しかし生れて三十余年の今日《こんにち》に至るまで未《いま》だかつて、かかる表情を見た事がない。美術家の評によると、希臘《ギリシャ》の彫刻の理想は、端粛《たんしゅく》の二字に帰《き》するそうである。端粛とは人間の活力の動かんとして、未だ動かざる姿と思う。動けばどう変化するか、風雲《ふううん》か雷霆《らいてい》か、見わけのつかぬところに余韻《よいん》が縹緲《ひょうびょう》と存するから含蓄《がんちく》の趣《おもむき》を百世《ひゃくせい》の後《のち》に伝うるのであろう。世上幾多の尊厳と威儀とはこの湛然《たんぜん》たる可能力の裏面に伏在している。動けばあらわれる。あらわるれば一か二か三か必ず始末がつく。一も二も三も必ず特殊の能力には相違なかろうが、すでに一となり、二となり、三となった暁《あかつき》には、※[#「てへん+施のつくり」、第3水準1-84-74]泥帯水《たでいたいすい》の陋《ろう》を遺憾《いかん》なく示して、本来円満《ほんらいえんまん》の相《そう》に戻る訳には行かぬ。この故《ゆえ》に動《どう》と名のつくものは必ず卑しい。運慶《うんけい》の仁王《におう》も、北斎《ほくさい》の漫画《まんが》も全くこの動の一字で失敗している。動か静か。これがわれら画工《がこう》の運命を支配する大問題である。古来美人の形容も大抵この二大|範疇《はんちゅう》のいずれにか打ち込む事が出来べきはずだ。
 ところがこの女の表情を見ると、余はいずれとも判断に迷った。口は一文字を結んで静《しずか》である。眼は五分《ごぶ》のすきさえ見出すべく動いている。顔は下膨《しもぶくれ》の瓜実形《うりざねがた》で、豊かに落ちつきを見せているに引き易《か》えて、額《ひたい》は狭苦《せまくる》しくも、こせついて、いわゆる富士額《ふじびたい》の俗臭《ぞくしゅう》を帯びている。のみならず眉《まゆ》は両方から逼《せま》って、中間に数滴の薄荷《はっか》を点じたるごとく、ぴくぴく焦慮《じれ》ている。鼻ばかりは軽薄に鋭どくもない、遅鈍に丸くもない。画《え》にしたら美しかろう。かように別れ別れの道具が皆|一癖《ひとくせ》あって、乱調にどやどやと余の双眼に飛び込んだのだから迷うのも無理はない。
 元来は静《せい》であるべき大地《だいち》の一角に陥欠《かんけつ》が起って、全体が思わず動いたが、動くは本来の性に背《そむ》くと悟って、力《つと》めて往昔《むかし》の姿にもどろうとしたのを、平衡《へいこう》を失った機勢に制せられて、心ならずも動きつづけた今日《こんにち》は、やけだから無理でも動いて見せると云わぬばかりの有様が――そんな有様がもしあるとすればちょうどこの女を形容する事が出来る。
 それだから軽侮《けいぶ》の裏《うら》に、何となく人に縋《すが》りたい景色が見える。人を馬鹿にした様子の底に慎《つつし》み深い分別《ふんべつ》がほのめいている。才に任せ、気を負《お》えば百人の男子を物の数とも思わぬ勢《いきおい》の下から温和《おとな》しい情《なさ》けが吾知らず湧《わ》いて出る。どうしても表情に一致がない。悟《さと》りと迷《まよい》が一軒の家《うち》に喧嘩《けんか》をしながらも同居している体《てい》だ。この女の顔に統一の感じのないのは、心に統一のない証拠で、心に統一がないのは、この女の世界に統一がなかったのだろう。不幸に圧《お》しつけられながら、その不幸に打ち勝とうとしている顔だ。不仕合《ふしあわせ》な女に違ない。
「ありがとう」と繰り返しながら、ちょっと会釈《えしゃく》した。
「ほほほほ御部屋は掃除《そうじ》がしてあります。往《い》って御覧なさい。いずれ後《のち》ほど」
と云うや否《いな》や、ひらりと、腰をひねって、廊下を軽気《かろげ》に馳《か》けて行った。頭は銀杏返《いちょうがえし》に結《い》っている。白い襟《えり》がたぼの下から見える。帯の黒繻子《くろじゅす》は片側《かたかわ》だけだろう。

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